蕪村攷 (その十九)
―― (その十九)―― 烏來て鶯余所へ

 芭蕉が句〈枯れ枝に烏のとまりたるや秋の暮〉につき萩原朔太郎は、「枯れ枝に止つた一羽の烏は、彼の心の影像であり・・・漂泊者の黒い凍りついたイメージなり」とし、寂びしをりの禪的境地を代表するものと見る。この際の烏は、誰もが一羽のみと見る。

 朔太郎により望郷の詩人なる評價を定着せられたる蕪村も、平安の都に安住したりとは言へ、故郷を離れしままの漂泊者と言ひ得む。蕪村が烏を詠めるは二句ほどより知られぬ。その一つ〈烏來て鶯余所にいなしぬる〉には、烏の出現にて小鳥の追ひ散らさるゝ、烏の尊大さ示さるるのみ。枯れ枝に止れる孤影の姿とは月とすつぽんなり。

 畫家としての蕪村は、俳句の句題とせるものを畫題にすること少なし。逆手をとりて言はば烏の句の殆ど無きが故か、蕪村には幾つもの烏の繪あり。〈夏景山水圖〉〈晩秋飛鴉圖〉〈雪中飛鴉圖〉〈曙鴉圖〉、更には重要文化財にもなれる〈鳶・鴉圖〉あり。この繪の鴉は芭蕉枯木句と對蹠的に、二羽の烏が、雪の積れる大樹の幹に身を寄せ合ひてつかまり、靜かに降りくる雪の中、何かに耐ふる姿なり。夫婦なるか、そこには芭蕉の凍りつきたるイメージとは程遠き暖かささへ感じ得。

 朔太郎は續けて芭蕉の句〈何にこの師走の町へ行く鴉〉を取擧ぐ。これは群れたる鴉の動きならむ。「年暮れて冬寒く、群鴉何の行く所ぞ! 魂の家郷を持たない芭蕉。永遠の漂泊者である芭蕉が、雪近い冬の空を、鳴き叫んで飛び交ひながら、町を指して羽ばたき行く鴉を見て、心に思つたことは、一つの絶叫に似た悲哀であつたらう」と評せる上に、更にニーチェまで援用す。「芭蕉と同じく、魂の家郷を持たなかつた永遠の漂泊者、悲しい獨逸の詩人ニイチェは歌つてゐる。

鴉等は鳴き叫び

翼を切りて町へ飛び行く。

やがては雪も降り来らむ ─

今尚、家郷あるものは幸ひなる哉」


  芭蕉句を散文にて説明せるがごとき詩なり。世紀末の哲學者ニーチェに斯かる詩のあるを萩原朔太郎に始めて教はりたるも、群鴉の飛ぶイメージに東西同じく故郷喪失者ハイマートロス の影を重ぬるを奇しとす。更に類推せば、ニーチェと同じ世代に畫家ヴァン・ゴッホあり。その死の直前に描けるは、黒き鳥の群れ飛ぶ麥畑の光景なり。時は夏七月の寫生畫なれど、日本にて麥秋と呼ばるゝ如き色彩の黄と赤土色が畫面の半ば以上を占む。ここには前作の〈星月夜〉にあらはれたる、宇宙感覺よりする渦卷く空が描かれ、西歐にては不吉とせらるることの多き鴉の群がその空へ、異界とも見らるゝ心の故郷へ戻らんとするかの樣なり。ゴッホはこの鴉の繪につき母へ手紙を書く、「これを描いている僕の気持の静けさは、どうやら余りに大き過ぎます」 現世に理性にて對處する一方、狂へりとされし他方の意識は分裂せる鴉となりて、宇宙大の靜けきゴッホの世界、魂の故郷へ歸りゆかんとす。

 蕪村に〈棕櫚叭叭鳥ははてう圖〉あり。叭叭鳥とは大陸よりもたらされたる鴉の類にして、慈照寺、すなはち銀閣寺の方丈の襖繪に描かれしものなり。部屋の東北西三方の廣き空間に棕櫚の疎に立てる中を、八羽の叭叭鳥が列なりて飛ぶ。描かれたる棕櫚も叭叭鳥も渡來のものにして、その異國的雰圍氣は、ゴッホとは對蹠的なる世界を作る。餘白の多き白の世界にて、禪的なる靜謐さに滿さる。處はまさしく東山文化の中心、銀閣寺なれば、蕪村がその唐物尊重の風を寫さむと意圖せるは明らかなり。己の東山文化に對する共感にもよるものならむ。

 〈夏景山水圖〉にも鴉の群たる姿を見る。されど此の繪、オーバーハングせる巨岩に抱かれたる巣へ、自然の故郷へ戻らむとするかに見ゆ。同じ群鴉を描くに、ゴッホと蕪村の家郷は大いに異ると言ふべし。





 

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