蕪村攷 (その十六 )
―― 天明の兄

人間の「ことば」の中に産み落さるゝと同樣、文藝作品におきても、先人の作なくば後人は己が文藝世界を築くことあたはず。されど、いかなる先達を選び取るかは後人の器によるものにて、先人の影響が如何なる展開をなすかは逆覩しがたきものあり。芭蕉は西行宗祇に倣ひ、蕪村は芭蕉を敬仰せるは、後世よりかへりみれば自然の流れと見らるるも、なにゆゑその先蹤に惹かれたるかの必然性皆無といふべし。ここに、逆の觀點より蕪村が如何なる影響を後世に與へたるかを、多くの説に配慮したる上にて語らん。

正岡子規、高濱虚子らの蕪村講義を始めしは明治二十六年のことにて、それが流行になりたるか、後に與謝野晶子、石川啄木、北原白秋などが、明らかに蕪村の影響を受けたる作品を作れり。いづれも俳句にてはなく、和歌や詩の形に換骨奪胎せしものなり。殊に晶子には、直接句を引用せるもののほか、「集とりては朱筆すぢひくいもうとが興ゆるしませ天明の兄」なる歌あり、妹なる自分が、天明の兄なる蕪村の句集に朱を入るゝを許せとうたふ。かなりの打込みやうなり。

夏目漱石なれば、正岡子規の友人なるが故に蕪村句を讀みたるに違ひはなく、みづからも俳句數多く作りたれば、影響を受けぬはずはなし、といはむよりは、蕪村の世界を身に體せる創作態度散見す。そを一歩進めたるは森本哲郎にして、「蕪村の世界をそのまま再現したるが『草枕』にてはなきか」と多くの具體例によりて論斷す。筆者の、漱石の作品中にて殊に草枕に惹かるゝはなにゆゑかと思ひきたれるに、この森本哲郎が犀利なる説得によりて腑に落ちたる經驗あり。そもそも草枕の主人公の畫家なること、小説中に「下つて蕪村の人物である、・・・惜しいことに雪舟、蕪村等の力(つと)めて描出した一瞬の氣韻は」と、蕪村が繪につきての引用あることより蕪村世界との親近感は知らるゝところ、さらに、滯在する那古井の温泉場における春宵の雰圍氣、主人公の書付くる俳句の數々、は明らかに蕪村の世界を連想さするものなり。
宿の夜低唱する聲のして遠ざかるに畫家眼をさまし障子をあける。背の高い女の姿消ゆ。また床に戻りて枕元の寫生帖に句を書付く、「正一位女に化けて朧月」。こは蕪村が「公達(きんだち)に狐化けたり宵の春」に相寄る光景ならずや。畫家の寤寐(ごび)の境に逍遥せるとき、入り口の唐紙があき、幻影の女が滑り込みて戸棚をあけて手を差入れたかと思ふもすぐに閉めて入口より出づ。かかる情景、明らかに蕪村が句「藥盜む女やは有おぼろ月」を踏まへしものならむ。他にも蕪村が世界を髣髴とさする描寫數々あれば、森本哲郎が、漱石、蕪村の世界を再現すとせる説、まことに説得力有りといふべし。

ここにカナダ人グレン・グールド登場す。三十歳頃までの六七年間、演奏會にてピアノを演じて名聲を博しをりたるグールドは、三十一歳以後聽衆の前には立たず、もはらレコードへの録音による演奏の世界に閉ぢこもりて、しかも名聲を維持せる天才音樂家なり。五十歳より先はピアノは彈かずと豫言せしその年に急逝せるも、その折に枕邊に置かれたる本は聖書と『草枕』なり。つまりグールドは、夏目漱石の著はし、英國人アラン・ターニィAlan Turneyの譯になり、書込みのせられたる小説『草枕』が譯本を死に至るまで枕頭に置きたるものなり。英語の題名は "The Three-Cornered World"、本文中の「四角な世界から常識と名のつく一角を摩滅して、三角のうちに住むのを藝術家と呼んでもよからう」よりとられたるものなり。音樂以外にラジオや映畫にも手を擴げたるグールド、放送にて草枕の第一章をおのれ自身にて朗讀もし、さらには草枕全體をラジオ番組にせむとも企圖したるほど草枕にうちこめり。終生獨身なりしグールドの、虚構の世界の中なる異國女性、那美さん及び那美さんにまつはる傳説的女性たちに惹かれたるならむか、はたまた蕪村が世界の再現とさるる漱石が藝術觀に同調せるゆゑなるか。

蕪村より漱石、果てはグールドに至る、けやけき三題話なり。

 

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