蕪村攷(その二
)―― 花火に遠き 谷田貝
常夫 枯淡、寂び、風流などてふ心境に甚だ遠く、「趣味的に俳句を毛嫌ひ」
しをりし萩原朔太郎なれども、『郷愁の詩人與謝蕪村』なる書を著はす
までに、俳人たる蕪村は愛讀し熱愛せしと言ふ。さりながら、かかる朔
太郎にてはありたれど、ホトトギス派や多くの蕪村好き一般に向ひては
大いに異を唱へたり。
「子規一派の俳人たちは、詩からすべての主觀とヴィジョンを排斥し、自
然をその『有るがままの印象』で、單に平面的スケッチすることを能事と
する、所謂『寫生主義』を唱へたのである。かうした文學論が如何に淺薄
皮相であり、特に詩に關して邪説であるかは、ここで論ずべき限りでない
が、とにかくにも子規一派は、この文學的イデオロギーによつて蕪村を批
判し、且つそれによつて鑑賞した爲、自然蕪村の本質が、彼等の所謂寫生
主義の規範的俳人と目されたのである。」
子規の主義を邪説と難じ朔太郎は言ふ。
「反對に蕪村こそは、一つの強い主觀を有し、イデアの痛切な思慕を歌つた
ところの、眞の抒情詩の抒情詩人、眞の俳句の俳人であつたのである」
まづは、明治になり更めて存在を認められし蕪村が、一段と深き理解を得られ
たりと言ふを得べし。しからば朔太郎の蕪村評釋はいかなるものならむや。
遲き日のつもりて遠き昔かな
「蕪村の情緒、蕪村の詩境を單的に咏嘆してゐることで、特に彼の代表作と見
るべきだらう。この句の咏嘆してゐるものは、時間の遠い彼岸に於ける、心の
故郷に對する追懷であり、春の長閑な日和の中で、夢見心地に聽く子守歌の思
ひ出である。そしてこの『春日夢』こそ、蕪村その人の抒情詩であり、思慕の
イデアが吹きならす『詩人の笛』に外ならないのだ。」
朔太郎の貼りつけし「郷愁の詩人」なる護符は驗あらたかなれば、後に
蕪村を論ずる者を「郷愁」なる語に金縛りとせり。後の詩人とて「ふるさとは
遠きにありておもふもの」と故郷に滯在のをりに歌ひて、屈折せるにせよ郷愁
の詩あり。またわびしき生活の中にて「遠き花火を見る」は、次の蕪村句の想
ひ出でられ、やはり觸發されて郷愁を歌ふに組するならむ。
もの焚て花火に遠きかゝり舟
然かりと言へど、「郷愁」の一語のみにて蕪村のすべてを掩ひつくせるものな
らむか。朔太郎の説は、蕪村の一面を語るに過ぎずと言ふを得べし。