蕪村攷蕪村攷(その十一 )―― 花影東に歩むかな
廣大無邊なるわれらが宇宙に「右・左」はありやなる問の發せられたることありしに、科學者より左右の對稱は存在すとの證明行はれたりと聞く。この世の中心がいづこにあるやは誰も知らぬことなれど、男女なる對は、同性具有はあれども中性は存在せざるに似たるか。 二頭立ての馬車を驅使せる中國におきては對概念の語句を用ゐる駢儷の詩文多ければ、そに通曉せし蕪村にとりて、十七文字の一句に對となる語句をはめこむはたやすきことならむ。しかも佳句多し。いま、方角の東西にそれを見む。 淺河の西し東シす若葉哉 西吹ケ ば東にたまる落葉かな 菜の花や月は東に日は西に 次なる一句にも東西なる語の表はれて、句に迫力を與へたり。 花影上欄干、山影入門など、すべてもろこし人の奇作也。 されど只一物をうつしうごかすのみ。 我日のもとの俳諧の自在は、 渡月橋にて、 月光西にわたれば花影東に歩むかな 嵯峨渡月橋に月光の移りゆくを見、兩岸に夜櫻を眺めて、王安石の詩「月移ツテ花影欄干ニ上ル」を思ひ出でたるか。月と花なる對の座を型通りにふまへ、渡月橋も詠ひこむ。影のみを動かす漢詩に比し、光と影の西に東にうつろひゆく情景が、本人の認むるがごとく一段と生動感溢るる句に造形せられたり。對比の際立てるゆゑなり。 もろこしの漢詩に對し、日のもとの俳諧の自在を嘯くが、その俳諧自體におきてもさらに自在なることは、その音數律からも窺へむ。「げつくわう にしにわたれば くわえいひがしに あゆむかな」と、五七・七五と對稱をなす。「夜桃林を出てあかつき嵯峨の桜人」など初句は九音なり。芭蕉の頃にはなかりし形式にして、近代詩に通ずる自由詩、例へば「晉我追悼曲」などを幾つも作りし蕪村ならではの自在なり。 蕪村の意識は、もろこしと日本を絶えず兩極に置く。蕪村は、漢畫を倣ふことによりて文人畫家に成長せるものなれども、晩年の畫の款記に「日本東成謝寅」、あるは「日東東成謝寅」と記す。「から」に對する「日の本」、西に對する東が、遂に頭より去らざりしがごとし。 |
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