蕪村攷(その四 ) ―― 漂母が鍋を             

  蕪村が發句は、その採上げし語句ないし語彙の種別多樣なること、人の
想像を越ゆといひ得。當時の發句は句會におきて作られしことしばしばに
して、その際は兼題とてあらかじめ主題の提出さるる場合ほとんどなり。
されど兼題は誰にも通用の「枯尾花・しぐれ」といふ類の凡俗なる語句の
み。その提題の語から聯想さるる人事、状況、筋書などより發句は形作ら
るるものなるが、その際に蕪村は、その豐富なる東西の古典に探査の目を
飛ばす。兼ねて用意の古典知識滿々たるものがあつたればなり。終生畫家
を生業とせし蕪村は、一方に職業上多くの繪畫知識を持つ。蕪村の腦中に
在る洋々たる記憶の海には、言葉のロゴスと繪畫のエイドスが二つながら
に渦卷き、そこを博搜し發句の想を得る。想起の機構はかくのごときなる
が、さらにその力の、殊更に強きが蕪村の天稟ならむ。

  雪霰が激しく降り、邊り一面に白き玉となりて跳ねる。外に放り出され
し煤けたる鍋にも霰は激しく當りて散る。並の俳諧師なればかやうなる光
景を眺めて一句ひねり出さむとせば、「玉霰煤けし鍋をみだれ打つ」とい
ひしところが精々ならむ。されど蕪村とならば黒ずみし鍋をめぐりて頭が
廻轉しはじむ。白黒の色の對比のみにては不可なり。かくのごとき古ぼけた
る鍋にて飯を作り人を養ふ。ふと、まづしく、飢ゑてをりし頃の韓信が想
起せらる。哀れみて飯を給するは洗濯をこととせる漂母なり。かくて句が
なる。

    玉霰漂母が鍋をみだれうつ

  かかる句を蕪村以外の誰が案出しえようか。

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  先學の注より取上げし蕪村語句の出典例

[漢文]樂府・芥子園畫傳・古文眞寶(前集、後集)・圓機活法・
錦繍段・孔子家語・三(唐)體詩・詩人玉屑・史記・淮南子・晉書・
楚辭・莊子・杜律集解・唐詩選・陶淵明集・白氏長慶集・文選・蒙求・
碧巖祿・蒙求・列仙傳・聯珠詩格・論語・王安石・瑯邪代醉編・臨川集・
佛典(維摩經など)
[和文](ただし、蕉門は別途)
萬葉集・古今和歌集・新古今和歌集・伊勢物語・源氏物語・枕草子・
百人一首・徒然草・井蛙抄・宇治拾遺物語・平家物語・和漢朗詠集・
玉葉集・拾遺集・後拾遺集・後撰集・後續拾遺集・新敕撰集・山家集・
金塊和歌集・撰集抄・發心集・無名抄・太平記・一休咄・滑稽雜談・
近世畸人傳・五元集・新撰菟玖集・曾我物語・甲子夜話・春曙抄・
醒睡抄・西京雜記・武備志・攝陽奇觀・兵庫名所記・禪林句集・
百隱禪師坐禪和讚・草山集・袋草子・日本歳時記・日次紀事・夫木抄・
風雅集・俵藤太物語・搨貶輪・和歌威徳物語・本朝語園・本居宣長・
和漢三才圖繪・謠曲(實盛・東岸居士・阿漕・皇帝・竹生島・岩船・
三輪・枕慈童・錦木・隅田川・熊野・大江山・張良・邯鄲・求塚)・
諺・故事・傳説
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