蕪村攷(その九
) ―― 鐘をはなるゝかねの聲
若きとき攝津の故郷を去りし蕪村は江戸に出で、二十二歳の頃、日本橋石町に居を定めたる早野巴人の内弟子となる。其角、嵐雪につながる巴人、すでによはひ六十を過ぎし清貧の俳人にて、蕪村を拾ひたすけ、蕪村もまた「枯乳の慈愛深かりける」巴人を父親のごとく慕ふ。往時石町には時鐘あり、近隣の人々、小錢を寄せて鐘衝きに時を告げしむ。舟の行き交ふ魚河岸も近ければ巴人、唐張繼の「夜半ノ鐘聲
客船ニ到ル」にあやかりてその住ひを「夜半亭」と名付く。「わが宿とおもへば涼し夕月夜」(巴人)
應ずるがごとき蕪村句に次あり。
涼しさや鐘をはなるゝかねの聲
初案に「短夜や」とあれば早朝の景となし得。音聲を波紋のごとく實體あるものと見なし、一種の抽象化をなしたるところに蕪村の特徴を示す佳句なり。さらに涼しさといふ肌に感ぜらるる觸角的認識と、音ならぬ聲てふ人間的聽覺認識との共通感覺がこの句を、再歸的語法と相俟ちて滑稽感を伴ひながらも深き認識の句となせり。
この石町にて薪炭の勞を共にせる五年は、その後の蕪村に懷舊の情の泉となりたるもののと推測さる。巴人の歸らぬ人となりしときの蕪村の嘆きは、「我泪古くはあれど泉かな」の追悼句にて知らる。江戸に流れつくまでにも多くの涙あり、その上更に泪の滾々と、の意ならむ。人生の諸相に接し、朝な夕なに時の鐘を耳にしながら、存在とは、時間とはと沈思せるもののごとし。蕪村にとりての「ふるさと」の地、「懷舊」の舊の時間なり。
鐘をよみし他の句あり。
釣鐘にとまりてねむるこてふ哉
大きく、重々しく、一たび撞かるれば大音響を發する釣鐘に、かよわく可憐なる胡蝶の一身を托し留りたる光景をよむとさる。對比の面白きをとらへた情景描寫の句とさる。されどかくの如き解釋の前提は佛寺の鐘との思ひこみにあらん。筆者はこの鐘を、都會の庶民の生活に組込まれし、佛教とは無關係、即物的なる時間のための鐘と見る。飛びつかれて時間まで一休みする蝶ともされやう。生きつかれたる蕪村の姿。あるいは、睡るとは現世の時間を忘るることなれば、時の鐘を意識しながら、無時間の世界に遊ぶ蕪村の姿を描きしならむか。胡蝶の夢を時鐘に包まれて見るおのれの姿とならばいかにも多義的な蕪村の句と映らう。