蕪村攷蕪村攷
(その十二 )― ― 美人の腹や減却す
老杜之句一片花飛減却春 さくら狩美人の腹や減却す 前へ書より杜甫の詩を踏へし句なること了解さる。花の一片散れば春の殘り一段と減るの意にて、子規に、「一片花飛の句は杜甫が年老いて・・・杜甫が月竝に落ちた時代の作なので云々」とあり、「此句も前置きがあるので例の通り洒落になつてゐる。〃減却〃といふ字を洒落たのです。」 洒落たは落ちたる讀取りにて、杜甫の詩の蕪村の句と意味に相通ずるところなければ、蕪村はひたすら「減却」なる一語を活かさむとて發想したるものと知れる。 場は 山坂の多き吉野ならむか。櫻にまがふ美人の、櫻狩に歩き疲れ、腹減りて窶れたる面持ちなるを見る。却へりて美しさの増せる「花疲れ」の樣の如し。中村草田男が評に「輕い興味だけの句であつて深みはないが、蕪村の機知縱横・囘轉滑脱ぶりが際立つて・・・」とさるるが、蕪村の腦中の囘轉は果してそれのみにて了はりたるとは信じられず。 對句法 parallelism は、句と句の對應のみを越えて對偶法とも呼ばる。中國人の倍數を好む性向によるといひ、斯かる形式を守らむがために虚僞の表現に走り勝ちなるが缺點なりと言はる。筆者のおもへらく、蕪村のこの句、察するに天台僧快川の、信長攻撃を受けたる折の死に臨みて詠ぜし漢詩と對偶關係にありと。 〈安禪不必須山水〉、滅却心頭火亦涼(心頭ヲ滅却スレバ火モ亦涼シ) (禪僧) 心頭 ・滅却 ・ 火 (美人) 腹 ・・減却 ・ 櫻竝木 洒落てゐるとせば、かかる他詩との對偶法にこそあらめ。 |
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