来し方行く末
塩原 経央
蒼穹に一片の雲あり。
暦を廻(めぐ)らす峠路に立ちて、
来し方を望見するに、
想ひは彼の孤雲に似て、
歳月の波間を漂ひ流るゝが如し。
九歳の臘月 慈母は逝き、
十有二の令月 また厳父逝く。
宛らに波濤万里を海図無く泳ぐに似て、
茨掻き分け道無き道を行くに変らず。
青山は常に峨々として眼前にあり。
海中に月光を仰ぎ 母を呼ぶ声届く無く、
渓谷の深林に東西の感覚を失ひて、
ひたすらにひたすらに何処(いづく)かを目指し行く。
弊履に覗く足指(あゆび)は血に滲み、
風雨に晒さるゝ衣服は襤褸(らんる)に見紛ふべし。
嗚呼 されど我が耐へ得ざるものの一切は無し。
少年時、壮年時、しかして老境の入り口にて、
なほ突兀たる青山を仰ぎて、
一昨日の如、昨日の如、
今日も亦石多き険路を歩まずんば休(や)まず。
(平成十六年十月十八日)