川上先生追懐
塩原 経央
尊公の悲報 旅上唐津の宿に聞く。
暗雲 月輪を覆ひて、
雨悽々(せいせい)として秋草を打つ。
哀しい哉、白鳥聯翩(れんぺん)として何処(いづく)にか去りしに。
時の過ぎ行く事 流水に似て、
行く水の帰る無く、逝く者も亦同じ。
離魂忽ちに遠ざかれば、
彼我を今 東都と九州の鄙邑に隔つ。
昔日 尊公余が茅屋に来り、
一尊を囲みたる貧しき酒宴。
怡然(いぜん)として或は紫煙くゆらし、
或は又 映像を愛機に収む。
本日 此処に縁戚知己相集ひて、
尊公を偲びて夫々の感懐を語る。
道(い)ふ勿(なか)れ、此光景誰をか写真に収むると。
梅花香つて春漸々として長(た)け行く。
(一六・二・二八)
川上重治氏は豊前の人。報道写真家なり。余いまだ若き日、カメラ雑誌編集者として口を糊しし折あり。巡り会ひて忽ち肝胆相照らし、酒亭に席を同じうして、諸事議論すること多し。此機縁によりて、余らが婚儀に際して月下氷人の労を煩す。腰痛を病むこと数年、実は之癌にして、旧年買ひ物帰りの路上に蹲りをるを、通行人に発見され、救急病院に搬送されたれど、既に末期症状と判明せり。癒着せし腸を除きて人工肛門に置き換ふる大手術の甲斐無く、病床に見舞ひて二タ月もせずして永の眠りに就けり。仍りて悼みて詩を物して、先生の霊前に捧ぐるものなり。