夢 裏
塩原 経央 夢裏=むり
夢にわれは行人なり。
されど、いづれの日にか乗車せし古き列車の、
いづくへ行かんとするやを知らず、
ふと降り立ちしは、
陽光うららかなる高架の駅舎にて、
遠望すれば閭巷ことごとく春景なりき。
閭巷=りよかう
紅梅白梅 その芳せを競ひ合ひ、
そぞろ歩けば、
春色おのづから躬に染み入つて、
躬=み
稚魚は群れ泳ぐ、清流の中(うち)。
青々たり、河畔の柔草。
青々=せいせい 柔草=にこぐさ
花木より鳥声の絶ゆるに暇なくて。
花木=くわぼく暇=いとま
田圃に淡き霞立ち、
田圃=でんぽ
遙かに見遣る、参差たる屋影。
参差=しんし
囲炉裏に父母は茶を服しゐて、
今しもあれ青き空に吸ひ上げらるるは、
庭にまりをつくはらからの歓声なるか。
ああ、われは満ちゐたり、心は満ちゐたり。
日の影やうやくかたぶけば、
雲の色 綾錦に映ゆ。
綾錦=あやにしき
万景 霞の衾にくるまれ、
衾=ふすま
晩鐘は殷々(いんいん)と鳴り渡れど、
殷々=いんいん
立つ風のかそけくして、
樹下にわれはまどろみを貪りをりぬ。
(〇三・四・三)