浮生の殘日 寥々僂指、
三千日を越ゆるや越えざるや。
斯かる思念の生ずるや俄かに周章して、
茫々たる往事を顧みる。
怠惰の日月 山と積まれて、
嘆息 臟腑を分け入つて愈々哀し。
思へば壯年の頃よりして、
我は其の矩を踰えざることを生涯の戒めとしき。
石橋を叩きても渡ることなく、
啻に對岸の楊柳 婉やかに風に腰を用ゐるを見惚るるのみ。
朝ぼらけ 夢より覺めて、
四圍を具に觀望すれば、
我はもよ何の因果か浦島の子とはなりぬなり。
花咲けど棘ある花、
鳥鳴けど闇を切り裂く凶聲、
林間に劍山ありて、
湖沼には又人の足を引き込む化け物潛む。
油斷せり、
油斷せり、
嗚呼 我は油斷せり。
恐るべき抽象妖怪跋扈して、
昨日のまほろばは赤茶けて煤み、
心和むものの何一つとてなし。
我は斷崖に立ちて、
朔太郎張りの絶望にしきりに耐へて、
鬱々として樂しむことを知らず。
然はあれ 斯かる絶望の岸に、
何の靈力の働くことありたるや、
窈窕たる處女子 笑みを頬に湛へて、
我の横に佇みゐたり。
淳良此上無く、
淑々たる擧措 好もしきこと限りなし。
我は舞ひ上がりぬ。
然はあれ 踰えざるの矩に縛められ、
内心の喜悦 ひた隱しに隱して、
曖昧に笑まひて心の裡を纔かに表す。
此の幸福 殘餘三千日の惠みならんと、
雨降る日も晴れやかなる思ひにて、
闊然として心の絆しを解かんと欲す。
桃李に吹く風馨しきこと限りなく、
目尻を下げて又の日に遇ふことを愉しみとす。
嗚呼 されどされど、
こは夢に夢みし夢なるや。
時として巧まず時間の軸のずるることあり、
昨日は一昨日の續きなりしが、
今日は昨日の續きにあらず。
處女子は時空の捩れよりいづくへか掻き消え、
杳として其の姿また捉ふるを得ず。
時間は我をして其の殘像を腦に濃密に燒かしむれど、
其の纖細なる容色、
其のおつとりしたる物腰、
其の鈴を轉がしたる涼しき聲音も、
すべては眼前に求むるに之を得ず。
嗚呼 我は愛す 大和撫子を。
今の世にいとど稀なる大和撫子、
そは觀音の化身なりや、
はたまたは彌勒の化身なるや。