「篠木健賢台の訃音に接す」
炎夏大王の宮殿は蓋し極北の凍土にあらん。
氷筍を以て柱とし、壁に雪氷を塗り込め、
回廊の氷牀 金剛石の研磨に耐ふ。
寒気凛冽たれば 為に巨大暖炉に林木其儘に投じて焚く。
塵界の猛暑は其炎熱の輻射する処、
森羅萬象悉く萎え 衰へざるの一物も無し。
暖氣漸く遍在し 暖爐の火勢弱まりたるや、
或はまた炎夏大王 午睡に入るや、
蒼穹俄かに黒き紗にて覆はれ、
初めは遠雷 猫の喉を鳴らすが如きものなれど、
颯然として風立ち 忽然として雨降る。
電光驅け下るるとき雷響は宛ら火藥庫の暴發するが如し。
休暇先より戻りて二日遅れて朋友の急報を披けば、
何たるぞ 健賢台の訃音なり。
余 健賢台の病床にあることさへ知らず、
何れ又旨き酒酌み交はさん折あらばなどと日を消し來り。
健賢台は彼の猛暑日 行きて帰らざる旅を旅立ち、
雷鳴によりて其を余に知らしめんとせしや。
朴訥たるは健賢台の篤實の心。
嗟乎 悲しい哉、
破顔一笑 大輪の向日葵の如き面貌を崩し、
厚き巨き手をもて余の手を捉へたる日ありしこと思へば。
西空に彩雲あり。
光帶びたる鳥 悠々と遊翔してまさに分け入らんとす。
(平成十九年八月九日)
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