愛甲次郎 - 見えざる文化(最後の保証人) - 連載第二回・生存の努力 |
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見えざる文化(最後の保証人) 連載第二回 生存の努力 中東駐在数年に及べばかかる話を耳にすること少からず。小説より奇なる人生は珍しきことに非ずしてしかも多くは悲劇なり。社会秩序を維持し、国民の生命、財産を保護すべき国家、政権自体極めて不安定なる地域に於ては個人の生存は自力に依る他なし。 当時日本大使館に勤務せるレバノン人、余に一週間の休暇を願ひ出でたり。レバノン内戦の舞台ともなれるベカー高原の出身にして、ローマ時代の遺跡バールベック神殿に近く土地を有せり。数日前故郷の叔父よりシリアの占領軍に土地を奪はるる虞ありとして至急帰国を促されしなり。軍による土地の接収は日常茶飯事といふ。駐留軍のシリア兵は近在の商店より日用品をつけにて購入するも支払の行はれし例なし。業を煮やしたる一商店主つけ売りを拒絶せり。然るに次の軍事演習にあたり彼の住居は隣接の広大なる果樹園とともに戦車によりて無残にも踏み躙られたり。館員は相手は軍隊なれば如何とも致し難しと言ひつつも出立せり。かかる話は珍しからぬことなれば淡々と述べらるること常なり。 拷問も虐殺もごく日常のことにして、かかる厳しき現実を耐へ抜かんとあらば権力者と結び財を蓄ふるは常識中の常識なり。地獄の沙汰も金次第とはかの地のためにこそあるなれ。かの人々の金銭に示す執着、時として我らが目には異常と映らんも斯様なる背景の存すること無視すべからず。黄金にて安全を購ふ要なき我らはその真の価値を知らず。湾岸諸国には数百家族に及ぶパレスチナの億万長者を数ふべしと言ふ。多くは数十年以前に於ては貧窮の極にありしも劇的努力を繰返し這ひあがりし者なり。亡国流浪の民なればこそ富を築き家族と自らを守らんとするその強き誘因ありしか。 中東にありて生存に弛まざる努力を為すはパレスチナ人に限らず。才能に恵まれたる少数は成功の上地位と富を得るなり。されどかかる人々だに不測の不幸これを襲ひ絶望の淵に投ずること屡なるは前述のK氏の例を見るに明らかなり。旧約聖書就中その後半は絶望の深き淵より神の救ひを求むる声に満つ。そは今日の中東にありては必ずしも過去のものに非ず。旧約の世界未だ健在なり。猶太教、基督教、回教等セム系の宗教の自然風土就中沙漠との間に存する関係につき論ぜらるること甚だ多し。されど真の関連は自然よりは我らが想像を絶する過酷なる政治社会条件に求むべきに非ずや。かかる厳しさの内に生ぜし極めて高き倫理性を備へたる信仰の体系は、恐らくは甘えの内に育ちたる日本人の理解を超ゆるものならむ。 ▼見えざる文化(最後の保証人)連載第三回へ ▼「逍遥亭」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |