愛甲次郎 - 見えざる文化(最後の保証人) - 連載第一回・劇的人生
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見えざる文化(最後の保証人)


連載第一回 劇的人生


余のクウェイト時代の知己にK氏あり。クウェイト基金と称する政府援助機関に奉職せる氏は、英仏両語を巧みに操り社交の場にて余と言葉を交はせしこと屡なりき。一日余を訪れ、常ならず話の弾みて問はるるともなく自らの生ひ立ちを語り出づるなり。氏はレバノン人の父の生業のため幼くしてモロッコに移り彼の地に長ぜり。小学校、中学校ともに成績抜群にして程なく奨学金を得て巴里に留学、次いで渡米せり。大学はハーヴァードなりしかはたまたコロンビアなりしか今は定かならず。卒業後国連事務局に阿弗利加担当として職を得たり。K氏は英、仏語のほか亜剌比亜語、西班牙語も能くせしのみならず、モロッコの南サハラ沙漠の西部一帯に用ゐらるるウォロフ語にも通ぜり。 語学の天才なりし彼はこれらを駆使して国際政治の舞台裏工作に力を発揮し次第に頭角を現すに至れり。一日一人の亜剌比亜人来たりてさる仕事を依頼す。当時クウェイトは独立の日浅く国連への加盟を希望せるも蘇聯の反対に遭ひその実現容易ならざりければ、K氏の要請されしはクウェイトの為国連にて西阿弗利加諸国の票を確保することなりき。紆余曲折の末同国の国連加盟は成功、この縁にて彼はクウェイトの要人H氏の知遇を得、その誘ひを受けクウェイトに新設されし発展途上国援助機関に参加するを得たり。H氏の右腕として国際場裡を東奔西走せる最中に、K氏に西阿弗利加の新興一共和国の駐米大使の職に就く機会訪れたり。


60年代阿弗利加諸国は踵を接して独立せるも人材に乏しく且つ旧宗主国に頼るを得ず、政治的係合ひの少なき第三国人材を要職に登用するは広く行はれし慣ひなり。K氏これを受け華府入りせるも、さして時日を要せずして新政権の内部乱脈を極め政争の激しき事実を知るに至る。K氏はその職掌上政府要人の後暗き取引の詳細を知り得る立場に置かれ、いづれ政争に巻込まるること必定なり。彼は後日証拠となり得べき書類を手にするや必ず写を取り、山の如き写を整理の上紐育及び寿府の法律事務所に送付せり。不測の事態生ぜんか弁護士必要に応じてこれを公開し以て事態に備へんが為なり。


不幸にもその危惧は的中せり。本国にてクーデター勃発、大統領は倒れ、大統領派の要人は悉く投獄の憂き目を見たり。大使への帰国命令も打電さる。K氏思へらく、これに応へんか空港の土を踏むや否や逮捕せらるるは必定、投獄、銃殺のいづれかは免れざるところと、命令に従ふことを肯へんぜず。大使館の次席は革命政権の意を体し圧力を加へ帰国を促し、暗殺の虞無きにしも非ず。彼は次席に対し紐育及び寿府に在る書類の公表せらるれば革命政権指導者等の悪事も明るみに出づべき旨を告げ難を逃れたり。革命政権もそれ以上の追求を諦め、K氏は世銀に職を見出し米国への亡命を果たせり。やがて彼は再びクウェイトに戻り嘗てその設立に寄与せしクウェイト基金に再び奉職せり。 余のK氏との交遊始まれる頃、氏は意気軒昂、数奇なる運命を反芻しつつ自らの先見の明を誇るところありき。人に優れし才能と努力により乱世の中危機を乗り越え実力を発揮するに限りなき自信を抱けり。されど 彼に一児あり。自慢の子息にて米国に留学中なりしが、さる年の暮両親と休暇を過すべくクウェイトに滞在せり。彼は嘗て通学せし高校の旧友に招かれ夜会に参加せしあと帰宅せず翌朝死体となりて発見されたり。麻薬と同性愛の不良の一味の争ひに巻き込まれたるものとの噂頻りなりき。事件は迷宮入にしてK氏もやがてクウェイトを去り、米国へ赴きその後消息を知らず。


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