愛甲次郎 - 見えざる文化(寸土を争ふ精神) - 連載第一回・国境は政治の産物なり
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見えざる文化(寸土を争ふ精神)


連載第一回 国境は政治の産物なり


東は蒙古高原より中央亜細亜を経て西亜細亜に至る欧亜大陸の広大なる乾燥地帯、更に西に延びて北阿弗利加に連なる。この地は嘗て漢族により西域と称されし地方にして、波斯或は近東の肥沃なる三日月地帯を含み、古来幾多の民族の興亡の繰返されし歴史の舞台なり。アケメネス朝、ササーン朝等の古代波斯帝国、七世紀亜剌比亜半島に興りし回教勢力により築かれたるサラセン帝国、成吉思汗が蒙古帝国、チムールの征服事業、オスマン土耳古による三大陸に跨る帝国等枚挙に遑なし。此等諸民族の繰広げし歴史に就きて歴史家岩村忍は要約以下の如き説を為すも注目に値す。


(1) かの乾燥地帯は二個の対立する生活形態を有す。即ち沙漠の中なるオアシスにて定着農耕に従事し且そを基礎とし商工業を営むオアシス住民並びに周辺の草原或は沙漠にて放牧を行ふ遊牧民これなり。従ひてかの地の歴史は農耕民と遊牧民の相克にして、そこに一個の明確なる法則を認むる事を得。即ち部族毎の分散を常とせる騎馬遊牧民も一旦カリスマ的軍事的天才の現るるやその下に機動力に優れし大規模なる軍事集団を形成、怒涛の如き征服事業に出で、あまたのオアシス諸都市を制圧、広大なる帝国を建設するに至る。然るにこの征服者は時を経ずして都市生活の安逸を貪る裡に活力を失ひ、やがてオアシス住民の反撃を受け 帝国は崩壊するなり。


(2) されどこの法則は十九世紀に至りて消滅することとなれり。その原因小銃、大砲等の近代的火器の出現と国境の画定にあり。古より騎馬遊牧民の帝国建設を為し得たるはその卓越せる軍事的機動力によるところなるも、その騎兵は到底近代的火器の敵に非ずして、銃砲により武装せし他勢力を圧倒するは能はざることとなりにき。また印度の支配をめぐる英露二大勢力の角逐はこの地に近代的国境の画定を齎し、この事実によりても部族民の大組織に統合さるる過程は著しく困難となれり。


この見解の当否はさておき国境の有する政治的性格の指摘は看過すべからず。国境と言へども必要なかりせば存在せず。国境線の引るる場合は政治的必要に依るも一旦引れし後はまた歴史を動かす力を有す。


一二の例を挙ぐべし。


戦前の亜剌比亜の地図は明確なる国境線を記すことなし。凡そ沙漠に於ては本来国境線の必要なし。沙漠は元来人の住まはざる海の如きものにして、沙漠に点在するオアシスは島に、オアシスの間を往来する駱駝は船に喩ふべし。例へばアルジェリアの語源なる亜剌比亜語アル・ジャザーイルは複数の島を意味し、数多くのオアシスより成る地方を指すものなり。従ひて海に境がなかりしが如く沙漠にも境はなかりけり。


亜剌比亜半島に国境が齎されしは比較的新しきことに属す。半島の大部分を占むるサウディが現在の王国の態を成せるは1932年のことなりしが、王国を建てたるサウード家は元来半島中央部のネジド地方の一土侯なりき。一代の風雲児と称されし同家のアブドル・アジーズは1902年一族の宿敵リヤドの太守アル・ラシッドの不意を襲ひその根拠地を奪ひ、着々と周辺の土着勢力を支配下に収め半島全体の征服事業に乗り出したり。当時波斯湾岸に於ては石油の開発緒に就き、英米の石油資本利権獲得に蠢動しつつあり。第一次大戦の戦後処理過程にて列強の勢力分野は明確化しつつありしが、現地の支配者との間に利権協定を締結するに当りては特に協定の効果の及ぶべき空間的範囲を確定するの要あり。最重要とされしサウディ・クウェイト間の国境は英国の斡旋にて1922年のウカイル会議にて決定を見たり。この新国境たるやクウェイト側に取ては先代首長の勢力範囲に比し三分の一てふ屈辱的代物なりしが、英国の立場は何より力関係を忠実に反映せる政治的に安定せる国境線を引かんとするにあり。クウェイトの抗議に対し英国のイラク駐在高等弁務官サー・パーシー・コックスの答えし「されどアブドル・アジーズは汝より強きに非ずや。」の言は英国の基本的考へを雄弁に語れり。


クウェイトの不服はあるも、英国主導の国境線なかりせば半島全体サウディ領となれる可能性ありしは否定することを得ず。


▼見えざる文化(寸土を争ふ精神)連載第二回
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