愛甲次郎 - 見えざる文化(寸土を争ふ精神) - 連載第二回・軽々に譲らざる精神
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見えざる文化(寸土を争ふ精神)


連載第二回 軽々に譲らざる精神


安定せる守り易き国境てふ考へは極て現実的にして且賢明なり。歴史家ジャック・バンヴィルの著せる「仏蘭西史」なる書に、現在の仏蘭西国境は、ルイ十四世、参謀長ヴォーバンに命じ軍事的に防衛の最も容易なる国境線を検討せしめ、これを政略結婚、戦争等の手段を用ひて実現せるものなりとの件(くだり)あり。後世の民族主義者は白耳義の仏語圏を取り込まざりしを嘆き、かたや独逸語を用ふるアルザス・ローレンを加へしは誤りなりと為す向きもあらん。されど領土の一部を割きフラマン語圏と併せ白耳義なる緩衝国家を樹立せしめたるは対英関係の安定に資するところ大にして、また独逸諸国に対し軍事的に備ふるにあたりアルザス・ローレンの領有の不可欠なりしこと疑ひなし。ルイ十四世の国境、その後の紆余曲折に耐へて今に残れるは彼の政治的現実主義の革命家或はナポレオンが夢想に遥かに優れたるを示すに非ずや。


軍事的政治的に安定せる国境線を引くに当たり山脈、大河川の如き自然的障碍は極て有用なり。かかる障碍を巧に利用し線引きが行はるれば結果は至て安定的なり。ただ河川の場合にあっては両岸の水際線と川の中心線の三の可能性ありてその選択が却て紛争の種となることもあるべし。波斯イラク戦争にありては国境をシャトル・アラブ河の左岸にすべきか中心線にすべきかは紛争の原因の一となれり。


興味ある国境の例として挙ぐべきは米国加奈陀間を走る蜿蜒千数百公里に及ぶ直線の境界なり。正にご都合主義の権化といふべし。また所謂飛地の例も稀ならず。世に知られざる例なれどオマーン所在のアラブ首長国連邦が飛地はその内に更にオマーンの飛地を有し、複雑なるドーナツ型二重構造を成すなり。


最後に我国に視線を移さん。人為的国境を歴史上知らざる国は必ずしも稀ならず。されど更に進みて人為的国境を必要とせざる国は日本を措いてその例を知らず。四面海てふ自然障碍に囲まれ他国と完全に遮断せらるればなり。英国、インドネシアも島国にはあれど国境は有す。我国も戦前は樺太にて蘇聯と国境を接したりと雖も戦後はそれだに消滅せり。もはや日本には寸土を争ふ精神は存在せず。島国にして争うべき寸土なきが故か。他国と地続きの国にありては寸土を争ふ精神なくして国の存立は成り立たず。国境に接する土地は経済的価値を欠くともそを守る意味なしとして譲り行けば終に歯止めなし。連続のものを不連続にする為には線は引かざるべからず。如何にご都合次第に引きたる線と言へども一旦引かれた上は断固守るべきものなり。寸土を争ふ精神は原則に固執する精神に通ず。それ自体些細なることなりとも原則論と係りあらば軽々に譲らざる精神なり。


先日さる新聞に「米国の富める婦人の僅か一ドルほどのことを争ふは理解に苦しむ」旨の投書ありき。余はその脈絡は知らず。されど彼女の固執の裏に果して譲るべからざる原則の潜まざりしやを疑ふ。然りとせば彼女の拘りは正当とせざるべからず。されど寸土を争ふ精神を欠く人の、彼女の立場を是とすることいと難かるべし。


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