愛甲次郎 - 見えざる文化(季節なき暦) - 連載第二回・純粋なる太陰暦 |
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見えざる文化(季節なき暦)一九八六年記す 連載第二回 純粋なる太陰暦 回教暦は一風変れる暦なり。暦に大別して太陽暦と太陰暦の存するは周知の如く、現在世に用ふるは太陽暦にして古く支那より伝はり維新まで用ひられし旧暦は太陰暦なり。但しこの旧暦は厳密に言はば太陽太陰暦とも呼ぶべきものにして後述の如く妥協の産物なり。この旧暦が夾雑物の要素を有するに比すれば回教暦は純粋無垢の太陰暦なり。 回教暦は月の満欠けの一巡を以て一月と為し十二月を以て一年と為す。月の日数は交互に三十日と二十九日と定む。これに依りて一年は三百五十四日となり通常の一年に比し凡そ十一日短し。然るに回教はいささかも調整を施さざるが故に季節の齟齬は免れず。新年は夏ともなり冬ともなるなり。 暦は農事には欠くべからざるものにして、古来農業は暦とともに発達せり。そは種播くべきとき、水引くべきときを告ぐるものにしてその善し悪しは農作に取りて或は農具、種苗、肥料にも優る価値を有せり。然れば古代中国におきても近東におきても正しき暦を民に与ふるは歴代王朝の責務の最たるものなりき。かかる視点よりすれば正確なる季節を告げざる純粋の太陰暦は物の役に立たず、遥かに高き近似値を示す太陽暦の優れたること言を俟たず。されど民の貧しく「こよみ」の入手も思ふに任せぬ古へにありては、太陽暦も等しく実用性に乏しかりき。赤貧洗うが如き無知文盲の百姓の目にもまがふことなき月の満欠けに基きつつも閏てふ調整を施したる太陽太陰暦はまさに採用さるべくして採用されたるものなり。驚嘆に値する文化の所産ならずや。 暦を与ふる側より見るに、そは膨大なる天体観測資料の蓄積及びその分析を要し、これをその務めと為す多数の専門家を養ふは古代中国、近東の専制君主に非ざればかなふべきことにあらざりき。 再び暫く回教を生みし沙漠の民の視点に戻らむ。彼の常識に従はば暦は生活に於ける時の流を計るを以って足れり。季節をも兼ねて知らむとするは贅沢と言ふ他なし。あまつさへ純粋太陰暦は単純にして且爽快なり。微調整の為の煩はしき技術は言ふに及ばず、本来年の観念すら不要ならずや。一年十二個月なる観念は農耕民の蔑しむべき模倣に過ぎず。 農事に疎き遊牧民の沙漠に興せし回教は周辺の農耕地帯を席捲せるも、農業の存する限り農耕社会に於てはその暦は土着の暦を駆逐すること能はず、二種の暦は遂に並存せり。一は宗教行事の為、一は農事の為なり。かくて彼のホメイニ師の権威を以てするも季節と結ばれしノールーズを追放することを得ざりしなり。 ▼「見えざる文化」(季節なき暦)連載第三回へ ▼「逍遥亭」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |