面影の聖母                 山田 弘

春        霜枯れにける葦の葉も 角ぐみそむる春の朝
         轟きわたる潮騒に 君の情けぞ偲ばるる            

         渚の松に東風吹きて 白砂舞ひ散る汀かな
         返り見すれば来し方に 我が足跡の著くして          

         隠さふべしや我が咎の 如何にぞ深きなぞ重き
         夢かも紛ふ現し世は 涙の外に何かある            

         ああ聖マリア梅が枝の 花の色彩も君ゆゑに
         命の果つるその後の 望みに生くる今日の日を         

         気高き人の我がために 祈り給ふと知りてより
         日に夜を継ぎて偲びつつ ああ御母をこそ恋ひまつりしか    


夏        黄昏風の小止みして 紅ゐ染むる海の色
         見下ろす丘の紫陽花の 匂ひゆかしき聖マリア         

         ああ夏の宵此の愁ひ 欅の陰をさまよへば
         今日まで生ける我が命 君に見えむかほばせか         

         木擦れの音に浜風の 立ちぬと知れる暮れの空
         膝間突きつつ仰ぎ見て 忘らるまじき面影は          

         祈りの母よとこ乙女 かくも恥づべき身なれども
         神の御前に引き給へ 御国に入らむ由もがな          

         風のさ渡る森の闇 我が魂のたゆたひを
         救ひ給ふは君ならで ああ誰をかも恃みまつらむ    


秋        紅葉も著き秋の野を 野分に沫く夕時雨
         萩の花咲く道の辺に 面影立てる清き人

         御いつくしみいやましに 下僕の胸に降り積もり
         君に背ける年月の 悔いにぞ胸の焼かれける

         見棄て給はば誰かまた 思ふも深き我が咎を
         宥むべしやはこの宵も 仰ぎまつりて祈るかな

         神の御母聖マリア 我な忘れそ庇ひませ
         臨終の時も哀れみて 祈り給へな我がために

         秋の夜更くる風の音 人の気配もなき宿に
         君のゑまひを思ひ出で えも術をなみ音こそ泣かるれ    


冬        梢の木の葉散り果てて 風音凄き神無月
         初雪冴ゆる荒野行き ああ面影の聖マリア

         氷の川面閉ざせども 露はれざらむ岩清水
         今日し変らず慕ひます 神の御母聖マリア

         黒雲低き夕空に 今宵は霙雪時雨
         身を知る悔いをいや深み 君の救ひに縋る日は

         ああ我が嘆き聞しめせ 君の祈りのなかりせば
         我が身の末を如何せむ をののく罪の深さかな

         花も草木も皆萎えて 風ひたぶるの冬の野に
         憧れまつる君なれば 永遠にこそ御許にあらめ 

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