兵燹詩艸 第二部その八
                 

   戰 旅           戰  旅   先韻
 彈雨七旬戎服膻   彈雨 七旬 戎服なまぐさ
 長征幾佇死生渕   長征 幾たびか佇む 死生の渕に 
 遠望古刹戰塵隔   遠望す 古刹 戰塵を隔つるを 
 合掌低頭涕泗連   合掌し低頭すれば 涕泗連たり
   語注  戎服 兵服  涕泗連 涙のこぼれるさま

 温州に數日滯在して出發となりぬ。兵器の手入、被服、靴の繕ひなどに追はれ、情報を求むる暇なく沖繩軍の全滅も知らざりき。此度は團列中央を占め、旅團司令部と共に行動せり。當初は海岸に沿ひしが、一週間ほどにて山路に入りぬ。 歩くのみにて戰鬪なければ記憶に留まることなし。行軍の終りころ、僧最澄が修業せし天臺山を遠くに眺めぬ。徐州周邊と異なり、南畫に見るが如き巍巍峨峨とせし巖肌を剥出しあるが珍しかりき。
 行軍は戰鬪より嚴しき面ありぬ。敵が現れざれば長くは休めず、一日に十時間、一時間に四キロの行軍となりぬ。兵の裝備は三十キロ、加へて腰に吊る牛蒡劍と手榴彈二發の重量こたへぬ。されば戰鬪帽を阿彌陀に被り、飮みやすきやう水筒の紐を短くして顎の下に吊り、上著をゆるめて胸元を廣ぐる姿勢を取らざれば堪へ難し。また、熱中症にて死せし兵の二名あるも、一人は行動を開始して二日目、他は明日は敵地を離るるてふ日なりき。 
 四キロ毎の小休止は十分ほどなり。敵現るれば動かずともよきにと思ふころ、出發準備の聲しぬ。のろのろと起上れば、遠く出發の聲せし氣配にて歩き出しぬ。前の福州攻略戰は萬葉集を開く餘裕ありしが、此度はこれらの書物を捨てざるを得ざりき。ちり紙すら重くなり、歩兵操典などはもとより、千人針、齒磨粉、齒ブラシ、更に米すら捨ててありぬ。 
 かくして起伏激しき惡路を歩きぬ。雨降れば合羽を通して濡れそぼれ、旱天の續けば水を浴びし如く汗流れ、そが乾きて鹽噴き出でぬ。飯盒飯の饐えし匂を嗅ぐだに食慾を失ふも、かかる飯とて水に洗ひて食はざればエネルギー不足となりて行動困難に陷る。莨のみもマッチを擦らんとせず、小休止となれば裝具を下す暇を惜しみて坐りぬ。馬の足取も覺束なくなり、停止しゐるに氣づかず尻にあたるも蹴らざることありぬ。


   一村壞滅       一村の壞滅   東韻
 將屆我區殭二戎   將に我が區にいたらんとして 二戎たふる 
 蟷螂掉斧報何同   蟷螂 斧をふるふ 報 何ぞ同じからん 
 砲彈半百摧村塢   砲彈 半百 そん
くだく  不識旬餘大戰終   識らず 旬餘 大戰の終るとは 
  語注  我區 味方の地域  二戎 二人の兵士  蟷螂 カマキリ  半百 五十のこと  村塢 村をかこむ砦、轉じて村の意  旬餘 十日餘り

 最終日に後半唯一の戰鬪ありき。味方地區まで四十キロなれば、本日中に到著すべく未明に行動を起せり。拂曉と共に戰鬪となり、此の日は野營となりぬ。つまらぬことに發せし戰鬪にて、大隊副官の護衞兵、城門に赴くに門の上の欄干に女のあれば聲を掛けしや。懷中電燈にて輪を描きしを合圖に、手榴彈投ぜられて二人は重傷を負ひぬ。
 正規の軍隊の駐屯せる氣配はなかりき。小銃一箇小隊にても優に占領し得しに、大隊の總力を擧げての仇討となりぬ。
後二十日足らずにて降伏とは知らず、大隊長は眞面目に敵地區の殲滅を企圖せしか。重機關銃を据ゑて逃れんとするに狙ひをつけ、大隊砲は六、七百メートルの距離から砲撃せり。直ぐ味方地區に入るてふ氣安さと、温州出發以來戰鬪の無かりしストレスもありしか。また、全彈を撃盡して功績簿に何かを書加へんとせしか。交替にて、初年兵の全員を照準の四番砲手、射撃の三番砲手となして實彈射撃を經驗せしめぬ。命中率よからざる大隊砲を初年兵が操作せしが、狙ひし家にあらずとも、その何軒か先に必ず命中しぬ。かくて戸數僅か數百の村落の壞滅を見たり。              


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