兵燹詩艸 第二部その七
                 

   轉進三千里       轉進三千里   先韻
 漫漫荒途溝壑連   漫漫たる荒途 溝壑こうがくつらなる
 重裝歩歩且摧肩   重裝 歩歩 まさに肩を摧かんとす 
 二三殿戰死傷百   二三の殿戰に 死傷 百 
 密忸己生希瓦全   ひそかづ 己の生 瓦全ぐわぜんを希ふを 
  語注  漫漫 道路の長きさま  溝壑 危險な場所 殿戰 退卻する軍隊の最後尾を守りて後退中の戰鬪  瓦全 いたづらに生き永らふ

 米軍沖繩本島に上陸し、我が軍の最後の大攻勢の失敗により敗北は決定的となれり。されば福州は孤立して占領の意義も失はん。撤退と決まり、主力は重機關銃、小型砲を攜帶して海岸線沿ひを歩き、高射砲、野砲の如き大型砲は分解してジャンクにて上海に運ぶ。六月中旬に温州に、七月中旬に杭州灣北部の松江に到著てふ作戰定まりぬ。余が中隊は大隊砲一門に彈丸百發を攜帶し、他は海上輸送に囘しぬ。
 當日は雨天なりき。午後四時、準備完了の報告を受けし中隊長、出發を宣言して指揮、戰砲、彈藥の順にて行動を開始せり。砲は最初から駄載し、彈藥を積みしと併せて三十餘の馬を加へし長き列なりき。我が大隊は殿軍なれば、米式裝備の國府軍に追尾攻撃せられぬ。夜行軍となりしも、敵には地の利ありて、黎明と共に銃砲撃に曝され行動困難を極めたり。
 五日目に橋なく、流れの速き幅四、五十メートルの川に至りぬ。暗き中に渡河すべき豫定遲れぬ。工兵水中にありて橋桁を支へ、早く渡れと聲を嗄らすも、橋幅狹くして一人づつ通り得るのみ。漸く砲のみ運び終へし時、敵の射撃始まりて工兵ら引揚げぬ。對岸に移りゐし余らも彈藥なくては戰ふ能はず。土堤下に隱れ、敵彈を避けつつ後續を待ちぬ。敵迫撃砲攻撃を始めしかば、頭上にひゆるひゆるてふ音を聞き、身を縮めしに數メートル離れし泥土に落ちぬ。幸にも不發彈なりしが、全身の毛穴開きて冷たき風吹込み、針にて背中を突かれし如き痛みを覺えぬ。


  砲側墓場        砲側墓場   先韻
 砲煙彈雨且蒙天   砲煙 彈雨 まさに天をおほはんとす
 隊伍忽紊逃競先   隊伍 忽ちみだれ 先を競ひてのがる  
 獨傍兵車一戎校   ひとり 兵車にそふ 一戎校     
 此期墳墓寂如禪   此を墳墓と期し 寂として禪の如し
  語注  兵車 戰車、此所にては山砲  戎校 將校  寂如禪 坐禪を組みし如くしずかなり

  瀕大隊全滅殊      大隊全滅に瀕し 殊死
  死開一面有感      一面を開きて 感あり   灰韻
 重圍連發死屍堆   重圍 連發 死屍うづたかし 
 反撃無援彈盡墔   反撃 援なく 彈 盡きてくだかる 
 不食與創三百里   食はず 創とともに 三百里
 魂飛兵站艷書媒   魂飛す 兵站 艷書をなかだちするを 
  語注  殊死 決死  重圍 幾重にも圍まる  創 負傷兵  魂飛 ひどく驚くさま  兵站 陸軍の物資補給部門

 敵は我が進路を豫測し恣に攻撃しぬ。態勢整ひて反撃を開始せば、反轉して次に移りて我を待つ。遮蔽物無き地形なれば逃隱れするより他なし。余も叢に隱れゐしが、低きに移りまほしきも動かば彈丸中つるべし。然る時に思はず失笑せし光景に接しぬ。畦道に伏せゐし通信中隊長、機關銃中隊長に踏みつけられて文句を言ひしか。將校がその恰好をと咎められ、將校とて彈丸は怖しと言返しをりぬ。
 かく苦戰を重ねし八日目、大隊の一割が死傷せし激戰ありき。夜行軍せしも山道の途中にて夜明けたり。左側は山肌を削りしままの崖、右側は深き谷なりき。上の方にて機關銃の撃ちあふ音せしも、その中に撤退すべしと思ひに、味方叶はずとて逃げしならんか。敵機關銃の音の一段と激しくなりて身動きも能はずとなりぬ。
 後方の山腹なる山砲の我に射角を向けをりぬ。機關銃の死角に隱れしとも、山砲に狙はれて全滅となるべし。部下なる現役初年兵を掌握して逃れんと思ひ、余が彈丸入換の時期を狙ひて走る故、同じ行動を取るやう指示して駈出しぬ。路上に死屍横たはり、負傷兵も呻きゐしならんも、前脚を折曲げて坐りこみし恰好の馬のみ記憶にあり。また、間近にぴしてふ音を聞きしは分隊員の撃たれし時ならんか。砲、銃撃とも間斷なく續き、多數の死傷者の出でしも、我が砲、彈藥とも馬に積みしままにて動き取れざる(UCSF9FA爿+犬)況なりき。
 此の激戰の際に見事なる軍人をも見き。獨立山砲中隊は我が中隊に後續して行動しをりぬ。同じやうに銃砲撃に曝され、分解せし砲を背負ひしまま馬に倒れられぬ。分解せずに駄載せし大隊砲と異なり、かかる(UCSF9FA爿+犬)況下にて山砲を下し、組立てて搬送するは不可能と言はざるべからず。砲隊鏡を覗けば山砲中隊長の姿見えぬ。頭から雨外套を被り、軍刀の柄に兩手を置き、後方の崖に背を寄せて倒れし馬を見ゐぬ。兵隊語にてかかる場合を處置なしと言ふも、さする場合の砲兵隊指揮官として見事なる擧措と言ふべし。また、砲側墓場なる格言ありて、兵は砲側にて戰死すべしと教育されぬ。此所を死所として端坐せし姿勢は、正しく劒電彈雨の間に立ち、勇猛沈著、仰ぎて富嶽の重きを感ぜしむるが如き態度なりき。
 大隊砲と彈藥は午後に至りて膂力にて中隊長の許に屆きぬ。峠の上に砲を据ゑて反撃を開始し、全彈を撃盡して山砲をも沈默せしめたり。此の戰鬪にて重傷を負ひ、谷底に落ちて捕虜となりし二三の兵あり。終戰後に原隊に復歸せしが、その話によれば、戰鬪指揮所に命中せし一彈が將校の悉くを仆せしとぞ。此の後、敵の追尾なかりしはその所爲ならんか。
 大隊の死傷者は將校三名を含め、全員の一割なる八十名を越えたり。中隊の戰死者は五名、後送されし戰傷者も七、八名に上りき。また、分隊員一名が戰死し、一名は足首を撃たれて後送となりぬ。荼毘に附す餘裕なく、屍は近くに埋め、指一本のみ切取りて燒きぬ。遺骨は分隊長首より吊るしが、痛くなりて翌翌日から馬の鞍に下げたり。
 撤收は夜となり、補給、戰傷兵の引渡しは百キロ先の霞浦海岸にてとなりぬ。彈丸五十發と糧秣などの補給を受けしが、思ひがけずみつ女の手紙もありぬ。何事のありしや。三年も前なる余との交際の思ひ出に綿綿と筆を費やし、戀文かと思ひしほど女心を露にせし文面なりき。こが最後の軍事郵便なりしが、此の時ほど異性の存在の嬉しかりしことなかりき。行軍間の休止の都度、手紙を開きて戰死すまじと思ひき。              


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