兵燹詩艸
第二部その六
殘 夢 殘 夢 先韻
師在僻陬應被捐 師は
僻陬
へきすう
にありて
應
まさ
に
捐
す
ておかるべし
敵來幾得我生全 敵來たらば いくばくぞ 我が生の全きを得るは
密希其節倣倭寇 ひそかに希ふ 其の節は倭寇に倣ひ
泛泛首丘千里船
泛泛
はんぱん
首丘
しゆきう
千里の船をと
語注 殘夢 見果てぬ夢 師 軍隊 僻陬 邊鄙なる土地 泛泛 浮び、漂ふさま 首丘 故郷を忘れざるの譬喩、狐は古く棲みゐし丘に首を向けて死ぬといふ (
狐死首丘
きつねししてをかにしゆす
)
船頭上がりが思ひつきしは、玉碎命令の出でなば海に逃れて海賊にならんてふ計劃なりき。ジャンクを分捕り、砲を積めば脅しになるべし。何れかの島を根據地に本物の海賊の略奪品を取上ぐればよし。運に惠まれなば季節風に乘りて日本に歸る途あるやも知れず。失敗せしとも福州海濱にて捨つるべき命ならずや。少しだに生命の伸びしを良しとすべし。
福建には海賊の多きも、日本軍の進出にて切羽詰まりしか。我が警備地區に現れしかば、兵も出動して小競合の後、負傷せし捕虜二名を戸板に載せて引上げぬ。敵前なれば大隊長が死刑と決め、執行は中隊に任されぬ。
裏山に穴を掘り、分隊に一名づつ殺し役の割當ありぬ。捕虜らを穴の前に坐せしめ、中隊長のぼそぼそと告げしを大隊の通譯が北京語に譯し、更に村人が福建語に直して儀式は終りぬ。最後の莨も與へられず、掛かれの聲に應ぜし四名の兵が背後より銃劍にて突き、呻聲の途切れしと共に土を被せぬ。
中國前線にてよく行はれしが、初年兵の度胸試しとせらるること多し。此の時は分隊長希望者を募り、應募者なき時は氣の弱しと見られしを指名せり。應募せしは一人、背中一面に牡丹と唐獅子の刺青をせし男なりき。銃劍の先端の肉を抉る際に恍惚感を覺ゆるとぞ。
陣中元旦 陣中の元旦 東韻
無奈元朝怨食窮 いかんともするなし 元朝 食の窮するを怨むも
密偸熊掌庫財中
密
ひそか
に
偸
ぬす
む
熊掌
いうしやう
庫財の中
天刑忽發蕁麻疹 天刑かな たちまち發す蕁痲疹
邊塞羸兵欲餠空 邊塞の羸兵 餠を欲するも
空
むな
し
語注 元朝 元日の朝 熊掌 極めて美味なるものの稱 庫財 倉庫内の物資 天刑 天の與へし刑罰 邊塞 邊地にある砦
羸兵
るいへい
疲れし弱兵
兵の主食は日に六合の決まりなるも、一週間に米五合の支給なれば、朝晝は甘藷、夜は藷まぜ飯となりぬ。副食は、朝は蒜の芽を浮かべし乾燥味噌の汁、晝は菜つ葉の煮附け、夜の僅かなる魚、豚にて蛋白質を補ひぬ。正月も餠なく、酒三合に、三ヶ日の三食が米の飯たりしのみ。糧秣受領の際に鑵詰を軍隊語のさしくるに成功せしと、下士官の都合せし鯛に似たる魚にて正月料理の形整ひぬ。唯、食ひつけざるを食ひしせゐにや、蕁痲疹の發症せしもありぬ。
藷飯にては力出でず。禁制を犯して住民に榮養補給を請ひぬ。物食ひのよき多く、豚の血を煮固めしものの鹽味を賞味しをりぬ。代金に軍票は歡迎されず、時計、安全剃刀、メンソレータムなどとの交換となりぬ。
占領と共に兵團長布告出でぬ。住民への要望と併せて兵の行動も律せられ、布告に反せる兵の行動に困惑せば、駐屯地司令に屆出づれば適切なる措置を講ぜらるとありぬ。他隊の兵の菓子を食ひ、水筒に酒を詰め、鷄を捕へて金拂はざるを訴へし住民ありき。下士官と共に現場に赴き、閣下の布告を何と心得るかとて數發食はして取戻し、食ひし代金を拂はしめぬ。大隊本部近くまで歸りしに中尉に呼止められぬ。部下中國人の面前にて撲られしが氣に入らざる風なりしが、我には閣下の布告てふ錦の御旗ありき。下士官に言負かせらるや、戰爭は勝利が總てなり。彈丸の下にて汝の兵が強きか、我が兵が強きかを試さんてふ捨臺詞を殘して去りぬ。
▼「詩藻樓」表紙へ戻 る
▼「文語の苑」表紙へ戻る