兵燹詩艸 第二部その四
                 

   拂曉臨敵地      拂曉 敵地に臨む   寒韻
 受命尖兵凛凛攅   命を受け 尖兵 凛凛としてあつまる
 傳舷移艇曉星殘   舷を傳ひ 艇に移れば 曉星殘る
 轟音破浪迫汀渚   轟音 浪を破りて 汀渚に迫る
 熢揚仄浮龍舌蘭   のろし揚がり ほのかに浮かぶ 龍舌蘭
  語注  拂曉 明け方  凛凛 危ぶみ恐れるさま  龍舌蘭 亞熱帶の海濱に羣生する植物


 鐵道警備と八路軍討伐に從事しゐしところ、獨立速射砲第十七大隊に轉屬となれり。此の大隊は獨立混成第六十二旅團(操兵團)の福州攻略戰に參加せしが、こは總軍の佛領印度支那・中國間の打通を計りて十數ヶ師團を動員せし大作戰の一環なりき。岩波新書の太平洋戰爭陸戰概史にシナ海の日本船舶を攻撃し をりし江西、福建兩省の米飛行場羣に向ひ進撃し、遂川飛行場の占領を手始めに同方面の米飛行場を次次陷るると共に、米潛水艦の中國沿岸を利用させざる含みを以て温州、福州を相次ぎ占領せりとしるしあり。
 輸送船團は十數隻組みゐぬ。揚子江を出でて舟山列島の見えし頃、潛水艦にやられし輸送船二隻横倒せるを見ぬ。かく近くにてと心細かりしが、味方の飛行機の現れければ安堵を覺えぬ。海荒れて船醉續出せるも、四日目の朝に無血上陸となりぬ。
福州攻略は操の歩兵に任せ、速射砲大隊は野砲、高射砲、自動車と共に占領後に移る豫定なりき。寒村海岸にて野營となりしも、米乏しければ甘藷畑を荒して補ひぬ。
命令を待つうち無線機故障せしも修理叶はず。情報途絶せば、大隊長の獨斷にて福州出發となれり。山路を分解搬送し、四日目に 閩江 みんかう左岸に出づ。船便にて遡及の豫定なりしが、下げ潮なれば船頭動かず。大隊長苛立ち、全員にて漕げと命ぜしも櫓は一丁のみ。P戸内育ちの中隊長は無視せしに、大隊長に阿りし少尉、皆にて曳くべしとて河に飛込み、潮に流されて危ふく命を失ひかけぬ。
上げ潮に乘りて一睡の間に福州に到著せしが、電燈の光を見て文明社會のありしと氣づきぬ。旅團司令部に到著を申告すれば,洋嶼やうしよなる部落に駐屯すべしの命ありて閩江を下りぬ。 
 作戰の經緯を歌ひし唄あり。原詩は口語なれば、戰鬪の状況を謳ひし二節のみ語句の一部を文語に修正して示さんか。
 三、○○(地名なれど失念)越えてまつしぐら  
福建省の山々を  しのつく雨もものかはと  
福州目指してひたおしに  鎭洋、梅洋手に入りぬ
 四、夜襲強攻中侖嶺  頂上はるか見下せば
省都の燈火煌々と  思はず叫びし萬歳を
   友な忘れそ  いついつも


  戰 鬪 終       戰鬪 終る   庚院
 敵去旭旗翻虜營   敵去り 旭旗 虜營にひるがへるも 
 閩江漫漫澹無更   閩江 漫漫 たゆたひて かはるなし
 風帆欸乃東西別   風帆 欸乃あいたい
 東西に別れ 
 船尾跳魚一瞬晶   船尾の跳魚 一瞬のひかり
  語注  旭旗 日章旗  虜營 夷の陣營  漫漫 長く廣きさま  風帆  風を受けし舟 欸乃 舟歌


 大隊本部は洋嶼に置かれしも、大隊長は陣地構築のため兵員の大半を率ゐて海岸近くに移りぬ。洋嶼に殘りし下士官兵は、大隊副官の指揮の下に周邊の警備、司令部との連絡などに當たりぬ。
 余はマラリアのため洋嶼に殘り、隔日毎に裏山に登りて警戒に任じぬ。閩江沿ひに平地開け、單調の中にも季節の變移も見られぬ。亞熱帶なれば田によりて生育の度合の異り、刈取中と出穗せしばかりが竝びゐぬ。また、潮に從ひし船の同方向に進み、潮の止まりし時刻に漁船の網を下すも見き。
 余が中隊の兵舍にせしは町の有力者の邸宅なりき。主人は明治末期に日本に留學し、法政大學の前身に學びしとぞ。書庫には帙入りの四書全書を始め、多くの漢籍ありて讀書の樂しみをば得たり。また、法政大學にて使ひしならん。日本の法律書も收藏されゐたり。背革に金文字にて民法釋義 法學博士 梅謙次郎とありて、余が使ひし布張りのレーアブッフにはなき風格ありき。
 その後長樂なる縣政府の所在地に移り、小學校を兵舍として砲陣地構築に從事せり。校舍の中には孔子の木像置かれ、また、講堂らしき建物に孫文の總理委囑が當時の日本の學校に於ける御眞影然として掲げられたり。分隊毎に割當られし教室にて起居せしが、殘りゐし教科書を開けば、九一八に始まる日本の侵略を彈劾して敵愾心を鼓舞しをりぬ。
余らは知らざりしも、比島戰線にて日本の速射砲の米M4戰車に齒立たずてふ情報のありしか。翌年に初年兵を迎へしものの、ひと月も經ざるに速射砲大隊は解散となりぬ。大隊長は上海の軍司令部附、中隊長以下は分かれて、砲を手土産に操の各獨立歩兵大隊に轉屬となりぬ。              


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