兵燹詩艸 第二部その一 發屯營赴野戰 屯營を發して野戰に赴く 支韻 家人屯聚正門窺 家人 屯聚して 正門をうかがふ 逐列呼名頓足咨 列を逐ひ 名を呼び 頓足して 此夜共征兵二百 此の夜 共に征きし 兵二百 年更暴骨異郷涯 年あらたまれば 骨を 語注 屯聚 集まりかたまる 頓足 足ずりする 野戰に赴くは兵の常なれば壯行會も、殘りし者の列びて見送る儀式めきしこともなし。教へ子を初めて戰地に遣る見習士官も、兵舍前に余らを集めて心構へを説き、部隊近くの藤森神社のお守りをくれ、此の年より玉碎報道の前奏曲となりし信時潔作曲の海行かばを齊唱して終りぬ。 午後十時過、小銃隊百數十名、重機關銃、歩兵砲各二十名、輜重特務兵三十名弱、通信十數名が隊伍を組みて營門を出でぬ。師團街道を經て京都驛に向ひしが、營門前に數十人屯しありぬ。暗くして定かならざれば、誰は何處ぞと叫び、また、息を切らしつつ隊伍を追ふもありぬ。これらの兵の殆ど翌年のインパール作戰にて戰死せり。もとより然なるとは知らざりしも、此の時駈けつけし家族の思ひの如何なりしや。 出發は機密の建前なれば、幹部は兎も角、肝心の余らは日夕點呼の後に初めて今夜出發と知らされぬ。家族の知れるは炊事に何日、朝食より二百何名減てふ通知ありしためなり。祭師團要員はその前日の夕食後に出發とわかり、公用外出せし炊事要員が祭の家族に告ぐれば、忽ち、京都市内なる知人らにも傳はりて最後の別れにと駈けつけしなるべし。 憲兵の警戒裡に乘車し、鎧戸を下して發車を待ちぬ。發車ベル鳴らず、見送人なきホームを離れ、翌日の午後に下關に著きぬ。米潛水艦の跳梁にて直接に現地に行く能はず。連絡船にて朝鮮釜山に上陸、半島を北進して滿洲に入り、奉天より南下して大陸を横斷、揚子江を渡りて南京の兵站宿舍にて一泊せり。翌日、上海行きの列車に乘り、伏見を出發して九日目に漸く呉淞の兵站宿舍に到著てふ迂囘路を取りたり。 遠望萬里長城 遠く萬里長城を望む 支韻 遙望塞雲千古姿 はるかに望む 塞雲 千古の姿 連牆萬里汗膏垂 連牆 萬里 汗膏垂る 夢魂驅騁長城壁 夢魂 驅けはせぬ 長城の 溲溺虹浮砂漠涯 語注 塞雲 とりであたりの雲 連牆 垣を連ぬ 汗膏 汗とあぶら、轉じて勞力 夢魂 夢みるの意 溲溺 放尿に同じ 釜山に著きし日の夜、貨物列車に乘せられしが、天幕布のみ敷きし牀の堅くして寢難かりき。翌翌日、萬里長城を眺めしが、城壁の上に腕に銃の姿勢にて兵隊立ちをりぬ。余は中學生の頃に愛唱せし土井晩翠の萬里長城の歌を想起せしが、伏見にて教はりし八紘一宇の歌の合唱となりぬ。 萬里長城で小便すればヨー 支那と蒙古に雨が降るヨー 世界最大の人間の作品に觸れまほしかりしが、列車は瞬時に通過しぬ。 父の從弟富藏も召集されて余とともに出發しをりぬ。そとは知らざりしも、徐州のホームにて體操せる顏に憶えありて聲掛けぬ。彼は俳句を趣味とし、呉淞にて次なる句を示されぬ。 十年へて肉親に遭ふ夏木立 これらの句は句集にまとめられ、上海出港前に取引先を通じて家に送られぬ。インパールにて戰死せしが、遺骨、遺品なければこが唯一の形見なりしとか。 二年ほど前に結婚し、間もなく第一子誕生てふ時に赤紙來たりぬ。呉淞にて女兒誕生の知らせを受け、絶對に死なじと言ひをりしも、インパールから退卻の途次に戰死せり。同じ隊に中學の後輩ありて、餓死にはあらで、病兵を野戰病院まで送りしまま歸らざりしと知らさる。未亡人は余が從兄なる辰五郎と再婚、遺兒はその養女となりて我が本家を嗣ぎぬ。 ▼「詩藻樓」表紙へ戻 る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |