兵燹詩艸抄 三 新兵之休日 新兵の休日 東韻 假日營門訪客充 假日 營門 訪客充つ 遠來久闊緬思融 遠來 久闊たり 緬思の融くるは 怡然戻舍古兵少 怡然として舍に戻れば 古兵まれなり 相悦房閑餔量豐 あひよろこぶ 房しづかにして 餔の量のおほきを 語注 假日 休日 緬思 はるかに思ひやる 餔 夕食 怡然 樂しむさま 戰鬪中にあらざれば軍隊も日曜、祭日は休みと定めらる。古兵は外出着に着替へて外出せるも、新兵は一期の檢閲の終はるまで許されざる決まりなりき。唯、班内の風通しよく、面會てふ樂しみのありぬ。 阿母は野戰に行くことを考へざれば、入隊の際に著用せし私服の受取後は現れざりき。一ヶ月ほど後に面會を思ひ立ちしに、控所にて飛驒高山を前日に出でて夜行列車に乘詰てふ人の話を聞きぬ。野戰に行かば面會不能と言はれ、京都に居續くると限らざることに思ひあたり、かく近くに居住せるに來ざりしを悔いしや。その後はしばしば顏を見せぬ。世は服裝にうるさく、男子は國民服にゲートル卷き、女子はもんぺを著用してパーマネントは施すべからずとなりぬ。 新兵は腹を空すてふ通念のありしや。阿母も寢臺にて祕かに食ぶべく茹卵の殼を剝きて持參しぬ。面會を躊躇せしは若干の食ひ物を供したきも、統制經濟下の物資不足にて容易に入手し難きも一因なりき。そを不要とて弟の土産にさせしは、隣の寢臺なる炊事勤務の三年兵の恩惠なり。夕食は炊事場にて取ること多かりき。新兵には形の崩れし魚とか、實の乏しき汁の類の當たるべきに、此所なれば燒魚のまるまる一匹、肉の量の夥しき肉じやがなどにありつきぬ。炊事場裏に浴場あれば、入浴の機會を捉え(=へ)て御馳走に預かりぬ。 緑陰小憩 緑陰小憩 侵韻 砲重千斤分解任 砲の重さは千斤 分解してになふ 拉肩奄奄汗淋淋 肩をひしぎ 奄奄 汗淋淋 午陰倚樹若尸默 午陰 樹によりて 尸のごとく默す 撫頰微風價萬金 頰をなづる 微風 あたひ萬金 語注 千斤 五百キログラム 奄奄 息の絶ふべきさま 淋淋 淋淋 水の流るるさま 午陰 日中の木陰 尸 しかばね 砲操作を誤れば中空の鐵棒なる標竿にて撲らる。戰鬪帽には手加減せしも、鐵帽を眞つ當にやられ眼眩みしことありき。唯、練兵場を駈囘る程度ならば小銃隊と差はなかりしも、歩兵砲隊の辛さの身に染みしは分解搬送なりき。 砲は車輪をつなぐ車軸の上に搖架、その上に砲身を載せ、前を防楯にて覆ふ構造にて、車輪と車軸、搖架、砲身、防楯に分解することを得。前三者は共に百キロ、防楯は三十キロなれば一人にてかつぎ、他は二人が肩に載す。最初の時は車輪車軸に砲牽引用の棒を通してかつぎぬ。練兵場より二キロあれば何囘か交替せしが、兵舍にたどり著きし時は慾望の全て消滅せし感を抱きぬ。週に何囘か行はれ、余をして仲仕になり得る自信をもつけしめぬ。 壓卷は稻荷山分解搬送なりき。砲を曳き、隊から稻荷神社までの五キロの道を駈足すれば、目標、稻荷山頂上、分解搬送の號令下りぬ。此の時は砲身を擔ひしが、勾配急なれば重さ後方に偏り、後棒は全重量を背負ひし感あり。頂上までの距離は知らざるも片道に一時間は要せしか。途中に遭ふ參詣の人勞ひつつ道を讓り、ハンカチにて汗を拭ひくれし中年の婦人もありき。頂上の手前に茶店のあれば、砲を降ろしてラムネを飮みし時は生き返りし心地しぬ。 ▼「詩藻樓」表紙へ戻 る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |