兵燹詩艸抄 二 被 徴 兵 兵にめさる 庚韻 米軍反撃戰威傾 米軍反撃し 戰威傾く 潛艦跳梁敵制瀛 潛艦 跳梁し 敵 うみを制す 一任我方修學半 さもあらばあれ 我まさに修學なかばなるは 赤心捧國此身輕 赤心 國に捧げん 此の身の輕きを 語注 跳梁 はびこり、恣に振舞ふ 制瀛 制海權を握る 一任 この句の後の句を受け、そは然あらむもままよの意を示す虚字 大東亞戰爭も緒戰こそ日本軍の勢よけれ、翌年十二月ともなりぬれば米潛水艦の跳梁にて輸送船の沈めらるること夥しとの噂ありぬ。次いでガダルカナルからの撤退が轉進なる語句を用ゐて發表せられぬ。新聞は航空機だに互角ならばと増産を訴へ、一方、在郷軍人會も檄を飛ばし、余も寒空に立たせられて必ず奪囘すべく、奪囘して英靈にこたへんてふ訓示を聞かせられぬ。 余は補充兵なりしが、召集を受けて京都伏見なる歩兵聯隊に入れり。物資不足にて應召兵の象徴たる赤襷の入手かなはず、近所に挨拶參りするに阿母がその旨を告ぐる羽目となりぬ。 營庭に集合せし後、二十數名と共に歩兵砲中隊に引率せられぬ。入隊式も、兵の心構えの訓示もなく、二階の兵室にて軍服に着替へて陸軍二等兵に變身させられたり。兵舍前に速射砲の操作を習ひをりし兵あり。また、數十頭の馬つながれて一面に寢藁の廣げられありぬ。歩兵ならば鐵砲をかつぐと思ひをりしかば晴天の霹靂の感を覺えぬ。 最初の日夕點呼の時に癲癇の發作を起こせし兵あり。翌日の診斷にて就寢練兵休となりしも召集解除とはならず、余らが野戰に出發する日も寢臺に横たはりしままなりき。余も肺疾を患ひ、保護兵とて牛乳一本を加給せられし弱兵なりしも三年の兵役を免がるを得ざりき。 新兵之悲哀 新兵の悲哀 庚韻 甲夜消燈喇叭鳴 甲夜 消燈ラッパ鳴る 臥牀脱軛幾時平 牀に臥し 軛を脱し 幾時か平なる 先浮祖宴那孃貌 まづ浮かぶ 祖宴 かの孃の貌 忽聞靴音現哨兵 たちまち聞こゆ 靴音 哨兵あらはる 語注 甲夜 午後八時から午後十時まで 祖宴 別れの宴 哨兵 見張り兵、不寢番のこと 軍隊内務令に兵營は苦樂死生を同うする軍人の家庭とあるも、その一日は起牀ラッパの鳴り渡ることに始まりぬ。點呼の後は馬に水と餌を與へ、食事とその後始末、班内の清掃、整頓と慌しき中に片づけ、午前八時には演習衣に着替えて兵舍前に整列せり。見習士官に引率せられ、聯隊砲を人力牽引して深草か桃山の練兵場に赴く。種種の狀況設定せられ、そに應ぜし砲操作を教へられ、廣き練兵場を駈け囘されぬ。息を繼ぎ得しは午前午後各一囘ありし莨吸への休憩の時のみ。また、入浴は定められし時間に引率せられて行きぬ。 夕食後も多忙なりしが、莨を吸ひ得ることもありぬ。午後九時にヘイタイサンハカハイサウダネー マタネテナクノカヨーと聞こゆる消燈ラッパの響くも、その前に上等兵の寢よてふ言葉のありて寢臺に横たふるが例なりき。 新兵が看視の目を感ぜざるは大便所か、毛布の中に入りし時のみ。家郷を思ひ、戀人の面影を偲ぶも此の一時に限らる。げにやよき時代の思ひ出を嚙み締めつつ、寢臺の中にて聞く消燈ラッパほどもの悲しき氣分にさせらるるものはあらじ。喇叭手は兵隊語のはやらすと呼びし洒落氣の持主の多ければ、ドドドド ドミドミソー ソミソミ ドミドソドーの末尾のソーとドーにヴィブラードを入れ、哀愁感を盛り上ぐるもありぬ。古き兵隊の今日のラッパははやらすの呟きに、新兵はそぞろマタネテナクノカヨーの思ひに駈られぬ。 ▼「詩藻樓」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |