たそがれ百景


   十四

 ある人若かりし頃は隨分に出世し、都内に戸建構へて庭に妻子遊ばせ、順風滿帆と人の羨む生活送りけるを、世の中不景氣の波に卷き込まれ、大舟と思ひ頼みし會社のあれよあれよといふ間に轉覆重ね、經營おぼつかずなりゆく果て果ては、人員削減とて翌月までにこのリストの社員全て辭めさせよと極祕の文書人事のお偉方より直々に、上よりのお達しなればすまひもえせず目を通すものの、リストの中には親しき同僚あり恩ある先輩あり、各々の家庭事情もほの知りたれば我が口からいかで失職告げ遣るべき、いかに恨まれむ罵られむとうち思ふだに苦しきを、千々に思ひ亂れつついよいよの前夜には一睡もえせず憔悴して、その人呼び出だすにさることもこそと半ば察したるにか、切り出だす前から哀願する人涙ぐむ人いづれもわけ言ひ立てて土下座せぬばかり、頼むと手を合はせられても我が裁量にてとかくすべきことにもあらぬものゆゑに、如何ともし難ければ言を左右に苦しく言ひ逃れて、短き期間にあまたの人々退職へと追ひ遣りぬ。
さるはみづからもこの頃より胃を惡くし、頭髮見る間に薄くなり霸氣衰へてポストは次第に閑職となり、人には首切り役人死神と忌み嫌はれつつ、からくも十有餘年の月日をば數へてやうやう我が定年を迎ふるに、その日となりて机周りとり片附け挨拶して囘るほど、人々の反應いと冷ややかに素つ氣なく、恒例の送別會の話はさらなりお義理の花束一つだになきを、ことわりと思ふものから四十年の勤續顧みるにさすがにいみじかりけり。
この年頃心荒れて我から友人知己失ひ、妻子もつひに去りてければ肩落として我が家に歸り著きてもお疲れ樣の言葉もなく、孤獨とはかかることを言ふにや世の中には同じ六十といふとも子供うまごに圍まれて、還暦祝ひや誕生會やとはなやかにもて囃され、仕事は生涯現役趣味の仲間にも事缺かずまさに充實の人生樂しむ人幾らもあるらむものを、我が身はかく一人うらぶれて、家族もなし友もなし行くべき場所もすべき仕事も會ふべき人もあらねばこの先生きながらへむとも何ゆゑの命ぞ、ただ朝起き出でて飯喰らひ、無爲に日暮らして相伴もなき晩酌傾け、ひねもす人と語らふことなく寢牀に就くを漫然と繰り返すのみ、ペットとて人のいみじく大事がり家族同然に見扱ふ犬猫よりも淋しく虚しき朝夕をあながちに重ね、いとど老いさらぼひゆくもあぢきなの世や、露霜のやがてあとはかなくて消えもしなむに心留むる人も惜しむ人もあらじを、かく甲斐もなき命のいたづらに永らふるよりは、些かなりとも汚なげなき内身仕舞ひして世の中といふものに別れ果ててむと思ひなり、いかに死なましと思ひ巡らせど人知らずむくろとなりて醜く崩れ惡臭放たむも我ながら悲し、さりとて公共の場にて思ひのままに失せなむも迷惑いかばかりかと思ひ囘すに、我が命一つ生かすも殺すも同じごと難きことなりけり。
木枯らし身にしむ秋の暮れ、コートの襟立てて職安より出づるに、齋藤さん齋藤さんと後ろより追ひすがふ人あり、誰ぞと見ればかつての部下の一人名をば高橋とか言ひし、眞面目なる人柄ながらストレスに心を病みて、そのかみリストラ名簿の最初に名を列ねたりしはやと思ひ出でてつくづくと見れば、變はらぬ痩せ型に古びたるジャンパー肘の邊り擦り切れて、目尻口元の深き皺歳よりもこよなく老けて見ゆるにこの歳月の苦勞思ひやらるるも、後ろ暗き思ひと共に忘卻し果ててし顏なれば咄嗟に挨拶の言葉も出で來ぬに、昔の部下は背筋正してその節はと頭を下げぬ。
表情の優しく穩やかなるさまも昔に變はらず、訥々とおのが近況語るを聞けば、高齡のお袋樣男手にかつがつ世話しつつその縁ありて今は福祉施設に用務の職得たるとか、ヘルパー二級の資格も取りたればいづれ介護タクシーの仕事など試みむとその道の先達に經驗談聞きて侍り、このご時勢需要は十分侍るべくなむとひとしきり我がこと語りてこなたの境遇は問はず、實直らしく禮をしてやがて人波に消えゆくを見送りつつ、そよや最初のリストラ組に組み込まれ會社去りて後の消息には知人の起業に手を貸すとか貸さずとか聞きしを、その後いかなる經緯のありけむあくまで物靜かに默々と業務こなし、周圍の雜談に加はらず上司への世辭も言はず仕事ぶりは確かながら些か融通きかぬ奴空氣讀まぬ奴とて煙たがられし人の、年經て介護福祉の業界に身を置くべしとはかつて思はざりしを、さても我がをさをさもの言はざりしをいかに思ひけむさばかり懷かしげに屈託なく寄り來たるものを、今は昔のしがらみ捨てて初老の仲間同士情報交換などしてあひ語らひてもあらましをと我がつれなきありさま顧みるに今更ながら悔やまれて、枯葉踏み踏み歸路辿りつつ人の世我が世竝べて思ひ比ぶるに思ふこといと樣々なり。


驛の舍の 椅子に入り日の 影延びて しみじみ思ふ 秋の暮れかな


うち連れて 暖簾くぐりし 料理屋に 誘ひやみまし 昔なじみを




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