たそがれ百景


   八

 ある人春の健診にて血壓注意の診斷ありければ、食事療法の指導受けがてら隔週にて醫者に通ふに、診療所は小さながら院長の評判惡しからねばにや、朝の受け附け始まらぬに二列の行列なす有り樣にて、豫約制もなきに等しきを、あまり待たさるるよりはと午前の混雜を避け、毎囘午後一番の豫約を取りてぞ通ひける。
二三月過ぐる頃には名を呼ばるるタイミングも心得て、持參の小説などにてかつがつ時間を潰しけるに、ある時本をうち忘れてける、家遠からねど取りに戻るほどのものにもあらねば座したるままいと手持ち無沙汰なる上に、いかなるにかその日しも午前の診療長引き豫約時間過ぎても診察室の邊り落ち著かず、晝休みずれ込みたり院長の晝食これからとて果てなく待たされぬ。
待合室の人々初診らしきは諦めて歸るもあり、殘んの顏ぶれは同じみの年寄りばかりにて、暗默の定席占めおのが病の重さ嫁の非道ぶり、例の競ひ語るに餘念なきを煩く思ひつつそこらの雜誌など見るともなく見居たるに、卒爾ながら御近在の方にましますかと隣より老女の聲あり、この月頃同じ午後一の患者と見えて近頃珍しき和服にいと小柄なる姿の、度々目にすることありしを思ひ出でて然々の邊りと答ふれば、彼も自宅の在處息子と住みたることなど語り出でたり。
言の葉の末々少し訛りたるは西のかたの人にや、思ひの外多辨にて己が病歴の數々若きより入退院繰り返しけるやうなど問はず語りに續け、同居の息子五十過ぎて獨り身なれば田舍よりは世間體いかがとひまなく言ひおこせど、本人にその氣のなきを首繩つけて妻合はせもえせず、人竝みに税金納め休日の趣味樂しみ日々足らひたるさまなめれば、親の出る幕にあらず彼の生き方尊重し口出しすまじと思ひ定め侍るぞや、ましてこれまで親の病氣ゆゑ樣々に苦勞かけしを思へば、我が思ふ道を生きよ後悔すまじくと心の内に言ひ聞かせ侍りとうち笑みぬ。
かかる待合室にてゆくりなく、見ず知らずの人のゆかりもなき身の上話、あまり慣れたることにあらねばさしいらへも躊躇はれつつ、時々頷きながらもはや我が名呼べかしと受附頻りに見遣るも知らぬ顏に、なほ延々と自分史語るは我にいかなる親近感持ちたるにや、後に聞けば息子に少し通ひたるところありと覺えて聲かけしとか、我には孫もあるものをと思ひつつ、それよりはゆき逢ふごとにゆかしげに懷かしげに寄り來る人を邪險にもえせず、日和の話よべ見し健康番組久しき腰の痛みに效くなる體操のことなど細かに嬉しげに語るを、文庫本膝にうち置き欠伸噛み殺しつつ相槌打てり。
さて季節變はり外の日差し強くなるままに、幸ひ血壓の値も落ち著きたれば通院の足も月一度二月一度とやうやう間遠になり、終には藥も止め診療所からは無下に遠ざかりぬるに、ひと日胃腸の具合よろしからず覺えて久方ぶり待合室覗けば、例の見慣れたる和服姿あり、さすがに懷かしく覺えて挨拶交はし隣に腰下ろしつ。
この月頃息子の出張多く留守がちにて、徒然にも心細くも思ほゆれば町内の子供パトロールに參加し侍るに、我が持ち場は學校前の横斷歩道にて黄帽子の子供ら無事に渡すが役目に侍り、毎朝出で逢ふに顏見覺えて鈴なりに戲れ來るもあり大人しく頭下げて行き過ぐるもありどの子も可愛ゆくて、腰痛などに弱音も吐かれず氣持ちに張りの出で來るにや、この夏は體調も崩さで感謝感謝の毎日と滿面の笑顏なり。
定期の受診にあらねばその後また通院途絶え、年經てふたたび通ふ頃にはかの人の姿なかりけり、午前の部に移りたるにか病院變へたるにかはたまた他所へ越したるにか、住まひそこそこのわたりと聞きたれば散歩のついでに足向け見廻らせどゆき逢ふことなく、


黄帽子の ヒヨコら渡す 渡し道 旗振る人は 變はりつらむか
待合ひに 身の上話は ゆき交へど かつて語りし 人をしぞ思ふ




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