たそがれ百景 六 ある人公營團地の三階に、八十あまりの姉と暮らしけり。 姉は早くに連れ合ひなくし、我はもとより獨り身の、定年まで細々勤めし證に年金雀の涙ほどあれば、姉妹かつがつ日を暮らすに不足はなけれど、この夏例より暑さいみじく、年寄りは脱水注意、室内にても熱中症起こすべきぞと度々耳にすれば、寢起きに水飮み壁際に扇風機囘して隨分に自重せしを、糖尿患へる姉樣最初に體調崩して、夜中曉に救急車呼びしも幾度か、日頃附き合ひ薄き隣近所にも自ずからそれと知られて、囘覽板囘すごとに質問やら助言やら、頼みもせぬに民生委員といふ地域の顏役訪ね來るも煩く覺ゆるものから、老々二人孤獨死にて發見なんどいふ記事見せられては無下にも言ひ放ち難く、かくてのみはあり經まじきかと心細く思ひなりぬ。 大正生まれの姉樣、人に迷惑かけじの信念搖るぎなかりし人の、入退院繰り返す毎に、氣弱にほけほけしく成り行く見るも悲しく、さるにても我が身のはかばかしく健やかならばこそ頼みもあらめ、膝の關節患ひ痛み耐へ難き時は杖にすがりてもえ歩けぬを、げに二人して病に倒れ、助けも呼べぬまま衰弱し果てむ樣まざまざと思ひやられて、例の民生委員といふ人の訪ね來るに、老々二人蓄へもなく病がちに、この先いかんともし難きをいかがせむ、いとうしろめたなしと語らへば、頼るべき御身内はなきか、施設はいかがと親身にパンフレットなど折々持て來たり。 さは言へど、その施設といふも思ひ立ちしままに易々移るべき所かは、今まで姉と二人、いづれはさる所にとうち思ひしことのなきにしもあらねど、をさをさ空室といふものなく待つ人のみ多くて、三年五年待ちもザラとこそ聞け、また待機者なき施設は入居金數百萬とか數千萬とか、いづ方にても夢また夢の話、我らがやうに待つべき時間も拂ふべき金もなき姉妹の、まさに行き著くよるべなき世の中なりやと嘆き暮らす程に、姉樣入院三度目といふ秋の暮れ、彼にとりては次男にあたれる息子、この年頃久しく音信途絶えてありつるより、來春母引きとらむの便りありけり。 面會時ベッド脇にて文見せつつかくこそと語れば、病者はやうやう肘つき半身起こして、さるはこの子の父に後れし時、同居の話は出でしかど、我もまだ六十そこそこにて若かりしかば、嫁と臺所取り合はむもやくなし、氣ままにて過ぐさむと思ひとりて住み慣れし故郷離れつるなり、今更かかる有り樣になりて歸らむも、かしこの人々の世話にかからではあり經まじきものゆえに、いぶせさ限りなければいかでか歸らむと思へど、さて行かじとすまふとも、所詮一人にて過ぐすべき樣にあらねば、ここに留まり汝に迷惑かけむも同じごと心苦し、この年頃姉妹二人他人の混じらねばこそ氣ままに過ぐし來たれ、病を得てはさる我が儘もえ通らじを、息子の呼び寄するままに歸らむと思ふぞと、涙こぼしつつ語りぬ。 聲音眼差し常になく正氣の樣なれば、彼なりに行く末思ふところのあるらむと、親子の事柄にいかで口さし挾むべきと自らも思ひなすものから、さすがにかかる年になりて一人殘されむも侘びしく心細くおぼゆ。 十月の末退院ありて、やがてもろともに正月過ぐし、やうやう梅咲き初めては春の別れ近くおぼゆるままに、二人ながら塞ぎがちに言少なになりゆくを、かくてのみはと思ひ起こして、ベランダ近き窓邊にテーブル寄せ、心ばかりの祝宴設けぬ。 いまだ風冷たき頃なれば、晝下がりの日差し浴びつつ二人窓越しに外眺むるを、外の空氣吸いたやいささか開けよかしと病者の言えば、いと細く開けつ。 ここに越しし頃いまだ若木にて、この階よりは見えざりし街路樹の、今は座しても見ゆるはと泣きみ笑ひみ語りつつ、姉好物の散らし壽司に茶碗蒸し、常は嗜まぬにこの時ばかりは特別特別と梅酒の栓開け、 乾杯と 黄金の酒を 酌み交はし おどけて祝ふ 春の別れを コップ插しの れんげ菜の花 姉と見れば 昔遊びし 朝土手思ほゆ ▼「詩藻樓」表紙へ戻る |