たそがれ百景 五 ある人老夫とつくづく語りけるは、若き頃は我が七十八十にもなりなば、足衰へ目元おぼつかず人の世話にかかりて過ぐすこともぞ、さらぬ先に身の囘りとり片附け、きたなげなき内惜しまれてぞ去りたきと、深き推し量りもなく願ひしを、さて今その年となりて思ふことは、人の世話を受けで暮らさむになほ増すことあらじを、さのみは濟むまじき命なれば、恥を晒しつつもながらふべきに、ただ若き末々の日々大人び行く樣思ひやるにぞ、苦しながらもなほ生かまほしとは思ふべきと、孫の寫眞取り持ちて見入るに夫、この頃は少子化とて若き世代のいよいよ少なくなりゆくめるに、老夫婦うち揃ひ孫三人健やかに大人びゆくを見るは、げにこの世の幸ひとも生き甲斐とも言ふべしや、子はひとり子にてゆく末さうざうしく覺えしかど、かく末廣がりなりければ、息子には感謝感謝、足向けては寢られじなともろともに笑ひけり。 年の暮れには小學四年の兄筆頭に、ぢぢばばの家大掃除せむと帚はたき片手にどたばた飛び囘るを、お年玉目當てと知りながら祖父母は目を細むるに、子らの親は約せし夕刻に來ず、待ち詫びて電話すればただ今不在の留守電應答のみ、この夕べ六時には必ず合流すべし、年越しの蕎麥七人分買ふて行かむにばば樣は何も用意したふなと、昨日確かに嫁の言ひおこせつれば料理もせでありつるをといぶかしみつつ、子らには正月用に買ひ置きし菓子など食はせ、テレビ見せてぞ待たせける。 時計八時を囘りし頃嫁より電話あり、病院からとて口振りいと慌ただし、けふ會社の忘年會に出でし良人、かしこにて突然倒れ救急車に搬送されたなる、原因精査中なれば未だ分からず、今宵は病院に泊まるべきに子ら頼むと口早に切りつれば、いかなることにかとも定かにはえ尋ねず、子らに動搖隱して夫と顏見合せけり。 さてまんじりともせで夜を明かし、息子はいかにと教へられし病院に驅け著くれば、別室に呼ばれ醫師より思ひも寄らぬ癌宣告、末期なれば手術も叶はず半年は持たじといと矢繼ぎ早に、かかることはあるべきものか、これまで病氣一つせず登山テニスと體を鍛へて、この十年風邪もひかずと朗らかに笑ひたりしもただ先達てのこと、何ぞの間違ひにやかかることはえあらじと、もの言はむとすれども喉カラカラに渇きて聲も出で來ず、聞き違へにやと醫師の顏うちまもれど表情も變えず、本人への告知はいかにとつれなく嫁へ問ふにぞまことなりけりと知られて、目の前俄に塞がるる心地す。 餘命僅かなれば、家に歸りてある限りの時間家族と過ぐさむ、もし奇跡の起こることもやと嫁は氣丈に病者と語りて、入院二十日目といふ頃子らの待つ家へと歸りけり。 兄を除けば未だ學齡にも滿たぬ幼な子二人、母から話は聞けども癌てふ言葉の意味も知らず、ただ父の歸り來ることのみ嬉しくて、大きなる畫用紙に覺えたての字横にはみ出すばかり、お父さんおかえりと、玄關にいと誇らしげに飾りたる見るぞ悲しかりける。 さて嫁は仕事休み病者の世話に明け暮れつつ、週末待ちつけては思ひ出殘さむと遊園地ファミリーパーク動物園、夏休み春休みの一度に來つるかと思ふばかり、父の車椅子を子らは珍しがり爭ひ押すも皆カメラに納めて、かくしつつ時の忘れて過ぎゆけかしと、來る朝ごとに願ひながらも病者の衰え日に日にまさりて、終に櫻咲く頃虚しき空の煙とはなりぬ。 子ら頼むと細き腕伸ばして妻の手握り、また母の顏うちまもりて親不孝勘辨なと震へる聲の今なほ耳に殘りて、 勘辨なと わななきわななき 告げる子の 目尻の涙 忘れかねつる 藥品の 匂ひの殘る 車椅子 主なき今も 子らは親しむ ▼「詩藻樓」表紙へ戻る |