たそがれ百景 二 ある人ここらの月頃夫の病づきてあるをかつがつ看病しける、我は彼がやうに腦梗塞こそ起こさね、年來の腰痛抱へおのがことすらままならぬに、かく家と病院行き來しつつ、洗濯物オムツ山と積み上げ、それは體の負擔なればさして苦とは思はねど、ただ夫の日に日に思ひくんじて、いつ治るいつ治るとまはらぬ口振りに問ひ聞くぞ苦しきや、初めはリハビリの時間待ち兼ね、はや車椅子乘らむこち寄せよと必死の手振り看護師に制せられ、なんのベッド上にてもすべき事あるぞと麻痺の手足みずから屈曲の訓練始め、朝な夕な一二一二と數ふるを、周りの患者に頭下げつつ見守るより他なかりき、昔も勤勉努力家なりし人の、かかる病に倒れていかばかり口惜しからむ、自力には微塵も働かぬ足のはや良くなれかしと陰ながら祈りしを、ひと月ふた月同じ樣にて過ぎゆけば、さすがに心騷ぎて病者のなき折醫師に、いかやうなる病状にかと恐る恐る問ふに、重き後遺症あれば今より良くはならじ、治療といふほどのものもなければ退院も相談次第といとそつけなく、白衣翻して行くを見つつ目の前くるるやうなり。 本人にはそれと言はねど薄々感じ取るにや、さばかり勵みしリハビリも、氣分優れずと布團引き被りて休みがちに、遠方より娘息子の代る代る訪なふにもをさをさ顏向けずなりぬ。 さるほどにわが腰痛、日頃の積もりにやいみじく惡化して、布團より起きもえ上がらず、這ふ這ふトイレなどの用濟ますのみ、人の看病などすべきにもあらず、からうじて勤め歸りの娘に、病院の洗濯物は頼みてうなり伏したるに、ただ氣掛かりは夫のこと、若きよりの多趣味に定年退職待ちつけ、いざ第二の人生と笑ひたりし矢先かかる不幸に襲はれ、いかようにも慰め難きに、伏しどより見上ぐれば卓上に旅行パンフレットの山、この月ごろ顧みられず埃に埋もれてあるも、あれこれ計畫して樂しげなりしをと、思ひ出でられてはせんかたなく悲しかりけり。 さて十日ばかり伏せりて、この上かくはと杖にすがりて牀拔け出でつ。 例の病室訪なへば、ベッドサイドにて訓練中なりけり、常の療法士と代はりて長身短髮の青年とさし向かひたる、麻痺の腕足曲げ伸ばし、立ち座りの訓練幾たびも幾たびも繰り返し、果ては筋肉ほぐすとてマッサージしつつ、昨日よりは關節の動き格段に良く侍りつと白き齒見するに、我が夫もにつことうち笑むと見るは目の錯覺か、更に二言三言輕口言ひ交はしうち笑み交はして、けふの訓練は終了と去りぬる背中見送りながら、急ぎかへり見れば口の端になほ笑みの名殘かすかに、見誤りにはあらざりけり、いく月振りの病者の笑顏よ、うち續く暗闇にかそけき光一條さし來る心地す。 十日振り 訪ねて見れば 何事か 嬉しかるらし 顏見て笑ふ しほしほと しをれし夫 なが笑めば おのが腰痛も 忘らるるごと ▼「詩藻樓」表紙へ戻る |