たそがれ百景 一 ある人、妻に遲れてこの五六年籠り居たる、侘びしきやもめ暮らしなれば、會社員時代はをさをさ見も入れざりける家事といふもの、初めは嫁ぎし娘のいたく思ひ案じて、煮物常備菜なんど週末ごとに車飛ばし、タッパー積み上げ冷藏庫に詰めこみけれど、彼にも家庭あればさしもひまなくおとづるべくもあらず、心にはかけながらやうやう間遠になりゆくもさるべきこと、思ひ案ずなと娘には言ひやりて、かつがつ魚野菜買ひ、我流ながら淺漬けなどぞ食卓には載せける。 炊事より始めて元來几帳面の質なれば、洗濯掃除もさして苦には覺えずこなすものから、一人には廣き家の内に見扱ふべきペットなどもなし、この頃は買ひ物とてスーパーやうの所に行けば、商品うるはしく陳列して、値段もバーコード讀み取りなればレジにて交はすべき言葉もなく、寡默の老人にはありがたの世やと思ふ思ふ、ただの一言すらもの言ふことなく日數過ぎゆけば、さすがにあぢきなくぞ覺えける。 ありし人は專業主婦といふものにて、もはら家事あれこれかやうのことしてぞ日々過ぐしけむを、かく外に出づべき用もなく電話のチリとも鳴らぬ日、ひねもす何わざして過ぐしけむ、ことさら趣味といふものなかんめりしをと、家の中つくづくと見囘しては、今更ながら昔の人にぞ問はまほしき。 もの言はで 日頃の經れば ゆふ暮れに 空きたる牀屋 さし覗きけり もの言はで 日頃の經れば たまさかに おのが聲にぞ 驚かれぬる もの言はで 日頃の經れば 試食竝び 肉の固さを 批評してけり ▼「詩藻樓」表紙へ戻る |