六 夏ごとに手引かれて訪れし信州の祖母宅、八月は盂蘭盆たましひの歸り來る月とて、日頃會はぬ從兄妹たちの續々集まりしかば、廣き庭にてあの遊びせんこの遊びせんと子供心に嬉しかりき。大人は座敷に晝より酒酌み交はし、長き廊下大皿掲げて行き交ふ嫁たちの姿のみ忙しげに、天麩羅お焼きの味噌の匂ひ焦げの匂ひ、遊びの合間合間に勝手口より忍び入り、海老天掠めて逃げ行く子を咎むる聲もなし、さるは臺所には嫁四人、菜箸動かしつつ頭集へてヒソヒソ話、何やら惡口らしきと子供の耳にも聞き知られたり。 とまれ所詮我らは血も繋がらず、大事の息子樣を奪ひ取りけむ嫁なれば、數々のお小言も憎さゆゑと合點のゆくもの、かかる集まりには下女の扱ひ、表座敷にもをさをさ呼ばれず、昨日は畑の世話さへ言ひ付けられし、真の娘にはたまの實家と足延べさせて、嫁の務めとすげなく言はれては口答へもえならず、ひねもす鋤鍬振るふにこの血豆と兩の手かざせば、義姉樣は御子達のあれば少しはましなり、我はいかで氣に入られむと誠心誠意を盡くすにも、なほ子のなき人は情の通ぜぬ話もつまらぬとことごとに切り捨てらるればいかがは辛きと涙交りの嘆息、さても情こはき姑樣よと他の二人も頷きあへり。 近隣には氣丈の働き者、老いのやもめ暮らしも汚なからず、さすが明治生まれはと譽めものにせらるる人も、愛執の念や深かりけむ、もとよりの好き嫌ひ激しき氣性も災ひして、息子には白米嫁には雜穀與ふるやうなる仕業度重なれば、次第に人の足も心もかれ行くはことわり、盆暮れさばかり賑はひし大座敷も庭も年ごとに荒れゆきて、つひには訪ふ者もなく、月の影のみ清かに浅茅照らせるを、慰めかねつと一人縁側に仰ぎ見つらむか、ゆめさらさら寂しなど言ひおこすべき人にもあらざりしかば、あまたの歳月無沙汰にて過ぐしぬ。 明治女の氣骨こそあれ、八十も半ばを過ぎてはさすがに獨居危ぶまれ、いつ小火出だすぞ、家周りの草の茂きはと折々苦情も聞こえ來るを、施設は本人の承知せず、さりとて同居に名乗りあぐる者もなし、皆々子の受験家の狹きを事情に言ひ立つる小田原評定、收拾つかぬを横目に、よしよしいづくにても野垂れ死なむよとあひも変はらぬ憎まれ口、さは言ひつつも八十七といふ歳隣村に嫁ぎし長女の家にぞ引き取られぬる。 祖母八十七、伯母なる人も七十路を越え、母娘水入らずとは言ひながら、老老介護の苦勞もげに思ひやらるるを、我はその道の仕事に就きたれば、何ぞ手傳ふべきことやあると年に一二度はるばる訪ふに、久しく見ざりつる祖母の皺増えいたく老いかがまりて、杖にすがりつつよろぼひ歩くもあはれ、かつて集ひしうからやからの影もなく、あまたの孫たちの中にさしも氣に入られで僻みし我のみこの老いを看取るべきか、毒舌の末虚勢の果ての孤獨と見聞き知りたることもあれば、人の薄情を責むるとにはあらねども、すずろにもののみ悲しくおぼゆ。 九十に餘りては記憶も定かならず、やうやう人の名も忘れゆくめるに、ある時さし向かひての昔語り、我は繼母に育てられ、親の情も知らで長じしかば、人と仲良くもえせず疎まれてのみありき、すがすがともの言ふを憎まれ行く先々人に背かれて、腹の底には露ほどの惡意もなかりしものをとうち言ふを見れば、いつになくおほどかに穏やかなる面持ち、やがて立ち居もおぼつかなくなりゆくままに、物語も叶はず寝たきり老人と成り果てて、九十七にてみまかりぬ。 いと戀し懐かしとは世辭にも言へぬ人なりしかど、今は歸るべき田舎もなく歸省の群を他所ながら眺むばかり、八月盂蘭盆の頃にはふと思はるる、夕暮れの墓參線香の包みに桔梗龍膽の花の束、揃ひの提灯に浮かれはしゃぎし子供らと、振り返り振り返り歩みし祖母の着物姿と。 ▼「詩藻樓」表紙へ戻る |