四 幼きより体ひ弱に疲れ易く、子供は風の子外遊びせよと、母には随分叱られながら、照りても降りても物陰に隱れて本の虫、一生の仕事には紙とペンより重きものは持たじ、ひねもす机に向かひて物書きなどする人にならむと心に固く思ひしを、人の心は變はるもの、十八の年、異國の宣教師修道女てふ人々に感化され、奉仕の生き方こそまことの人の道よ、はるばる海を越えて一生捧ぐる人だにあるを、五體満足の生を受け、何せむに己が樂しびのみ求むべしやと殊勝なること思ひ付き、どこそこに教會付属の老人施設あると聞き出でては、やがてその日の學校歸り、アポも取らずの直談判、修道服の老施設長御自ら出でまして、さらば卒業後しばし試み給へ、ただしここなる人々は、難聴の傾向あれば甲高き御聲いま少し低め給へ、話しぶりのどめ給へと、ご注意の後お許し下りぬ。 胸に大志を抱きつつ、仕事初日、エプロンと制服渡されて、廣き施設の内右も左も分からぬに、とにかく動け、仕事てふものは見て盗むものぞと唾吐き散らす鬼主任、マニユアル片手にもたつけば、學生気分とどやされぬ。巨大なる洗濯室汚物處理室、押す人も見えぬ配膳車の絶えず行き交ひ、せはしげに動くは職員のみ、入所者と呼ばるる人々は、車椅子にベッドに、虚虚ろなる眼差し天井へ向け、奇聲發するもあり、唾液垂らすもあり、己が排泄物弄ぶさへあるその中を、水分補給に居室掃除、定時に随時のオムツ交換、主任以下にも暗黙の序列ありて、古參の主婦らにちよッとちよッとと呼び使はるれば、俄か熱意は忽ち冷めて、日暮れの歸途は泣きッ面、兩の手幾ら洗ひても、人の汚物のにほひは取れず、夕餉の箸も持てざりけり。 今更に、己が短慮を悔やめども、後の祭りとなりぬれば、いとせめて、苦しき時は午後の休憩三十分、人の寄り來ぬ會議室に泣き場所求めて駆け込むに、ある時先客あり、安田氏とて去年の冬入所しける、顔ばかりは見知りたれど、全盲ながら行住坐臥人に頼らず、車椅子の群れとは一線画したる人なれば、介助の手も要らず、日常の接點もなかりしに、一樹の陰一河の流れも他生の縁とて、ポツリポツリと語り初め、かたみに無類の本好きと知りては話も弾み、また明日また明日と契りつつ、休憩時間の友とはなりぬ。 その人瀟洒にして品行方正、長身の背筋伸ばし片手に白杖持ちたる様はどこやら英国紳士の風格、動かぬ双眸遙かに据ゑて語り出だすは七十四年の物語、岩手盛岡にての生ひ立ちより獸醫になるまでの若き日々、緑内障大手術の苦勞話も淡々と續け、今は訓練の賜物、めしひながらも大方の雜事は自力にて賄ひつべきを、中途失明の悲しさ、點字は不得手にて、我が信仰の據り所たる聖書を久しくえ讀まぬぞ寂しきと嘆息するを聞き、聖書は我も持ちたれば、この休憩時間三十分、御眼の代はりに讀み奉らむと、その日の内に主任に上申、あくる日より始めたる朗讀ボランティアも、慣れぬ讀み聞かせのたどたどしきに、片耳寄せて聞き入る人の辛抱も思ひやらるるを、もとより博學多識の人なれば、その讀みはかう、その意味はかうと所々に注釋入れて、身振り手振りに易しく説き聞かすを樂しむ風情、いつしかボランティアの立場逆轉、我は讀み彼は教ふ、午後のひととき第二會議室、先生一人生徒一人の勉強時間と人にも知られぬ。 休憩時間に引き替へて、就業時間は相も變はらぬ失敗續き、覺えは惡し、體力もなしと使へぬ奴の烙印押され、何しに雇ひつらむと施設長さへこぼさるるとか、誰にともなく傳へ聞けば、親はらからのさばかり制しとどめしものを、己が適性顧みず、頑なにこの道と思ひ定めし愚かさよ、同期の人々見回せば、體強健に聲も大きくテキバキと、言はるるより先に業務こなせば、主任にも入所者にも重寶がらるるは當然、かかる身にて人の役に立たむなどをこがましき望みを持ちしかな、更なる迷惑かけぬ先に、いかで辭めばや去らばやと、思ひつめたる心の内、例の休憩時間にうち漏らししを、老いたる人はつくづくと聞きて、さぞあらむさぞあらむ、勤め始めは苦しきものぞ、なれどいま一年耐へ給へ過ぐし給へ、かばかりにて人の適性は見定め難し、桃栗三年柿八年といふ言葉もあるを、折角思ひ立たれし御志貫き給へ、愚老の賢しら聞き入れ給へと聖書片手に諭されて、なほ半年一年と忍ぶるに、さ言ひつつも年月移り、五年目といふ秋の暮、かの人はかなく病づき、入退院重ねつつ外見見る間にやつれ行くを、勤務後度々おとなへば、生氣失せたる眼差し向けて、醫者の物言ひ定かならねど、察するに癌といふものなるべし、喉の癌とていづれ發聲叶ふまじう聞けばいとおぼつかな、めしひて見えぬだにあるを、聲すら失くしてはいかで人と語らはむ、神の道具と使はせ給へと祈りしを、そろそろ用濟みとの思し召しかやと口の端に笑みさへ浮かべたり。 さて後三度目の入院長引きて、意識不明のままやがて歸天との知らせ、通夜は氷雨降るいと寒き夜、上司先輩に倣ひ獻花して退出せむとするに、遺族の列より一言お禮をと歩み出でたる人あり、まづ深々と頭を下げて、誇り高き父を施設に預け、心に不孝を詫びつつも、無沙汰重ねてさすがに苦しく、思ひ起こしての面會に、開口一番近頃の樂しびとて語り出だしし、日々三十分の聖書研究、めしひの我を師と呼ぶ若人あれば、まだまだ枯れ果てじ、勉強勉強の毎日ぞと朗らかに語りしはや、若盛り柔和と程遠かりし人の、あの笑顔こそ忘られね、臨終のさまもいと安らかなりきと目頭押さへぬ。中途に終はりし聖書研究、師亡き後も一人細々と讀み續け、我が身は中年中堅と呼ばるる立場となりぬれど、粗忽愚鈍は直らねば、朝にバケツ轉がし夕に食膳取り落とす、粗相の數も變はらぬを、今は誰にか愚痴らむ愚痴りても甲斐なきこと、前進あるのみと半ば開き直りの境地、人の口癖そのまま移りて、桃栗三年柿八年、ことある毎に繰り返しつつ。 ▼「詩藻樓」表紙へ戻る |