二


 十ばかりの頃、家より停留所五つほどのバス通りに、かやぎやとて雜貨屋の小奇麗なる、新しく出來ぬ。色とりどり清らなるノオトの、めくる毎に花の香かをる、消しゴムのいと可愛ゆらしき、或は苺葡萄やうのもの象れる石鹸など、目移りするばかりに次々と店頭に並べば、そこらの小中學生心奪はれて、小遣ひ銭握り列をなして、あくる日の買ひ物自慢、仲良きどちは友情の證に品物交換など流行りて、かやぎや通ひせぬは忽ち蚊帳の外、仲間はづれの憂き目なりき。
 幼な心地に店の噂聞けば床しく、仲間はづれも面白からねば、かやぎや行くのに小遣ひたまへと、ねだらまほしう思へども、躾け嚴しき家にいますは、近隣の惡童にも恐らるる雷親爺、朝な夕なの口癖に、小遣ひは實のあることに使へ、ゆめ無駄遣ひすな、ノオト鉛筆消しゴムは、物書くに事足らば飾りは要らじと、信念曲げぬ人なれば、如何せん、虚榮なる店に足踏み入るることかなふまじと、机隔てて級友をば羨みぬ。
 さすがにあはれとや思ひけむ、隣家なる子のややませたるが口さし寄せて、わざわざ親に斷りせずともた易く行くべきものを、親には誰それの家に遊びに行くと言へかし、金はわれ小遣ひの殘りあるを少し用立てむと惡知恵付くれば、さらばもろともにと契りて歸る家の門、恐る恐る居間窺へば、嚴父のくつろぎて新聞讀める土曜の午後。なま後ろめたければ、伏し目がちに請ふ外出の許し、うそはえ言はぬを、行先はとまづ咎めらるるこそわりなけれ。
 かやぎやと一言云ひ捨ててあとは野となれ山となれ、脱兎の如く家飛び出で、バス代惜しみ友うち連れて走る走るあの坂この坂、あの角曲がらば近道ぞ、イヤこの道行くがなほ近きぞと、船頭多ければやがて迷ひて行き暮るる春の薄闇、行く手は遠し、腹は空きたり、小錢はあれどもバス停見えねばいかで歸らむ、かかる幼きどちにて、誰言ひ出づることぞと、うちしほたれて虚しくかこち合ふのみ。
 見も知らぬ家の門々、け恐ろしき犬の遠吠え、足早に行きすがふ人の姿、心細さのやる方なくて、膝震へつつうち見回すに、やをらさし出でてオイと呼ぶ人影あり。誰かと見ればわが父なりけり。街燈の薄明かりにそびえ立つ姿の頼もしき、通勤用の黒のコオト着て、両手ポケツトに、子らをば見下ろしてうち笑みたるやうなり。腹は空きたり、足は棒なり、疲れ果てて頭もえ働かねど、まさかまさかよ父様の、我をば案じて密かに追ひ來たまへるか、ここらの道を一言も咎めたまはず、歸らばいかなる目をや見むと思ひつるを、父は微笑みてもの言はず、子も語るべき言葉なくして、ただ呆れて佇めり。
 さればその日もそれ以後も、かやぎやてふ店につひに入ることかなはざりき。バスの窓より時折見ゆる看板、今は古く黄ばみて、文字所々剥げ落ちて往時の面影なきを、目にする度をかしくもあり、うら悲しくもあり。他家と比べていかでかくまで嚴しきぞと、恨めしく憤ろしく齒向かひしもあまた度、涙の滲む目で睨みしもあまた度なれど、いついかなる時も忘れざりき、心の底に刻まれしは、一日限りの慈父の面影。





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