『紅樓夢』記・
                 

  『紅樓夢』が作者の名は、曹雪芹とて知らるるも、雪芹は號にして、名は曹霑なり。曹家は、明代より代々東北の瀋陽(舊滿州國奉天)に居住せる貴族の家系なりき。清の勃興するに及び、漢族ながら清に歸屬し、八旗に編入せらる。八旗は清の武人貴族の謂なるも、皇帝と同じき滿州族に限ることなく、八旗旗人には、漢族、モンゴル族、朝鮮族等、亦ありき。
 曹家は、漢人八旗旗人の家の典型なり。曹霑の曾祖父が妻は康熙帝の乳母、祖父は帝の乳兄弟にて、共に漢籍を學びたる御學友なりき。祖父曹寅は、幼時より神童を以て聞ゆる秀才にして、康熙帝の最も親しき幕僚となれり。宮廷の裝飾品納入を一手に引受くる帝室直屬の、江南織造署監督の職に任ぜられ、康熙帝六囘の江南巡遊に際し、四囘は織造署に行宮を設營せられしとぞ。
 曹寅は康熙帝時代の清朝史に名を殘したる閣僚級の高官なれど、文才に惠まれ、詩、書に巧みなりしのみならず、長編戲曲二篇を創作せる文化人にして、古書の收集、編纂、復刊を以て廣く世に知らる。曹寅の當時珍しきマラリヤ(瘧)を發病し、病重篤なりし時、北京にありし康熙帝、早馬もて特效藥キニーネを屆けしめたりと言へり。
 曹寅その甲斐なく死せる後、一子ありて父が職を嗣げど、亦若くして死す。帝特旨もて曹寅が弟の子を養嗣子とし、家職を嗣がしむ。異説あるも、曹霑は其の養嗣子の子なりとせらる。曹寅死して後、養嗣子に出生せる孫なりけむ。
 曹霑が父の嗣ぎたる織造署監督の家職は、收入多けれど、出費又多く、就中康熙帝江南巡遊の際の行宮設營に支出せる經費は、曹寅在世の砌より、大いなる借財となりて家計を損へり。曹寅の後繼者等に渠が經營の才無く、家運の頽勢は日に已に明らかなり。
 『紅樓夢』の物語は、曹雪芹、即ち賈寶玉が幼時、曹寅既に死して、家運傾き始むるも、なほ往時の豪奢を維持せる曹家一族の生活を活寫す。物語中に窺ひ知らるるも、曹寅が未亡人に當る賈寶玉が祖母、一族の絶對的支配者たりしは、清末の西太后の如し。
 賈寶玉の、祖母に溺愛せられ、姉妹、從姉妹、侍女等の、それぞれに個性豐かにして、稀なる美質に惠まれたるに圍繞せられて、日々を送れるは、些かの潤色あるべきも、作者曹雪芹の實際に體驗せるところならむ。林黛玉への眷戀の日々、薛寶釵との婚儀、また事實なりしか。
 曹家が命運を一變せしめたるは、康熙帝の逝去と雍世帝の即位なるべし。康熙帝逝去後の帝位爭奪に、曹家も捲込まれたるにや、雍世帝即位後、曹家は公金費消の咎にて、家宅搜査、家産沒收の憂き目に遭ふ。
 賈寶玉こと曹雪芹、榮耀榮華は一朝の夢と終り、貴公子より、罪せられたる一族の裔に顛落せり。貧窮せる儘に、北京西郊、西山の陋屋に移り住み、旗人への些少の給付と、得意の畫筆を振ひて得たる收入に依存する生活なれど、酒に渇くこと狂せるが如く、些かの收入あらば酒に投じ、時に食するに事缺きて、粥を啜りたりと傳ふ。
 されど貴公子の本性は紛れ無かりけむ。雪芹の號の由來せる如く、藥草調合の才ありて、多くの罹病せる人を救ふも、贖ひを受くること無し。僅かに『紅樓夢』中の薛寶釵たる賢妻が支へに因り、貧しく、意に添はざる日々を過ごし得て、小説執筆に人生の凡てを賭けたるべし。
 『紅樓夢』一篇は、曹雪芹自ら暗喩せる如く、文章を藉りて、一族の冤を雪がむとせるなれど、亡妻への感謝、亦雪芹をして、長大なる小説を記せしむる導因たりしならむ。賢妻死し、後妻に娶りしは、目に一丁字無き愚女なりき。中國にては葬禮に際し、死後の生活に費消すべき紙の錢を燒くを事とす。曹雪芹の死後、雪芹が後妻、葬禮に燒く紙錢無きを以て、完成せる『紅樓夢』の草稿の一部を燒きつ。今日の『紅樓夢』、後半三分の一を亡失し、恰も未完の小説たりしが如く世に傳はるは、愚女の愚行の所爲なり。嗚呼、巳んぬる哉。何すれぞ、中國文學史上不朽の名作の、斯る愚女に命運を委ねたる。


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