『紅樓夢』記・五
                 

  『紅樓夢』に、主人公、賈寶玉の少年の日に作詩せるなりとて記す春夏秋冬の夜を詠じたる律詩四篇を掲げむ。此は必ずや作者曹雪芹なる曹霑、若き日の詩なるべし。恐らくは霑、曹家の貴公子たりし日、『紅樓夢』作中にある如く、曹家に出入りせる幕僚食客等、曹家十二三歳の公子の作なりとて囃したるに非ざりしや(因這兒首詩、當時有一等勢利人、見是榮國府十二三歳的公子作的、抄録出來各處稱頌、再有一等輕浮子弟、愛上那風騷妖艷之句、也寫在扇頭壁上、不時吟哦稱贊)。權門の子弟の手すさびに過ぎざるも、文才は覆ふべくも無き妖艷の佳詩ならずや。
 晩唐に絢爛豪華にして優雅纖細なる律詩を多く書きし李商隱(義山)あり。若き日の曹雪芹、亦李商隱に學びたるにや。我らが日本の新古今集、就中定家が有心體、亦中國にて西崑體と頌せらるる李商隱と彼が追隨者の詩風に影響せらると覺しければ、曹雪芹が以下の四篇、我らが詩的傳統にも一脈通ふらむ。
春夜即事
 霞綃雲幄任鋪陳 霞綃かせう(霞の如き薄絹)雲幄うんあく(雲の如きとばり)鋪陳しきつらぬるに任す
 隔巷蟆更聽未眞 巷を隔つるひきがへるは更に聽くに未だ眞ならず
 枕上輕寒窗外雨 枕上のうそ寒さ 窗外の雨ふり
 眼前春色夢中人 眼前の春色夢中の人
  盈盈燭涙因誰泣 盈盈たる燭涙誰に因りて泣き
 點點花愁爲我嗔 點點たる花愁我が爲に嗔るや
 自是小鬟嬌懶慣 おのづから是小鬟せうくわん(髮をわがねたる侍女ら)嬌懶けうらんに慣れ
  擁衾不耐笑言頻 衾を擁して笑言の頻りなるに耐へず
夏夜即事
  倦綉佳人幽夢長 綉(刺繍)に倦みたる佳人幽夢長く
  金籠鸚鵡喚茶湯 金籠の鸚鵡茶湯を喚ぶ
  窗明麝月開宮鏡 窗明るくして麝月宮鏡を開き
 室靄檀雲品御香 室靄にして檀雲御香を品す(部屋に香を焚く煙が漂ふも何の香ならむ)
  琥珀杯傾荷露滑 琥珀の杯は荷露を傾けて滑らかに
 玻璃檻納柳風涼 玻璃(ガラス)の檻(欄干)は柳の風を納れて涼し
 水亭處處齊紈動 水亭(水邊の亭)處處に齊紈(團扇)動き
 簾卷朱樓罷晩粧 簾は朱樓に卷きて晩粧罷る
秋夜即事
  絳芸軒裏絶喧嘩 絳芸軒裏喧嘩(騷ぎ)絶え
 桂魄流光浸茜紗 桂魄くゑいはく(月)の流光茜紗せんさを浸す
 苔鎖石紋容睡鶴 苔は石の紋を鎖して睡鶴を容れ
  井飄桐露濕栖鴉 井は桐の露をひるがへして栖鴉を濕らしむ
 抱衾婢至舒金鳳 衾を抱きたる婢至りて金鳳を舒べ
  倚檻人歸落翠花 檻(欄干)に倚りし人歸りて翠花を落とす
  靜夜不眠因酒渇 靜夜眠らざるは酒に渇くに因り
  沈烟重撥索烹茶 沈烟重ねて撥して茶を烹るを索む
冬夜即事
  梅魂竹夢已三更 梅の魂竹の夢已に三更
 錦罽衾睡不成 錦のけい(=毛氈)
さうの衾睡り成らず
 松影一庭惟見鶴 松の影一つの庭に惟鶴を見る
 梨花滿地不聞鶯 梨花滿地(梨の花と見紛う雪地面に降り敷き)鶯を聞かず
  女兒翠袖詩懷冷 女兒の翠袖詩懷冷く
 公子金貂酒力輕 公子の金貂酒力輕し
 卻喜侍兒知試茗 卻つて喜ぶ侍兒の茗を試みるを知り
 掃將新雪及時烹 掃きて新雪をて時に及んで烹るを


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