『紅樓夢』記・三(平成二十一年七月)
                 

  『紅樓夢』が魅力の一は、主人公、賈寶玉と賈家の子女等の分れ住む大觀苑に、緩やかに流るる四季の時なり。
 春は三月、桃の花の盛りの季節、寶玉水邊に讀書を樂しまんと、一書を攜へ、沁芳閘なる閘門の橋近くに至り、桃花の下なる一塊の石の上に坐し(寶玉走到沁芳閘橋邊桃花底下一塊石上坐著)、書を讀み始む。只見る、一陣の風過ぎて、樹頭上の桃花の大半を吹き散らすを。落花の散りて、滿身滿書滿地皆是なり。寶玉振り拂はんとすれど、脚歩して踏まんを恐怕おそれ、只花瓣を衣服の端もて包み、池邊に來り、池の内に振り落せり。花瓣は水面に浮びて在りしが、飄飄蕩蕩、竟に流れ出て沁芳閘に向へり(只見一陣風過、把樹頭上桃花吹下一大半來、落的滿身滿書滿地理皆是。寶玉要才斗將下來、恐怕脚歩線踏了、只得兜了那花瓣、來至池邊、抖在池内。那花瓣浮在水面、飄飄蕩蕩、竟流出沁芳閘去了)。 夏は六月初め、芒種の節あり。尚古の風俗、凡そ芒種節の此の日に至るや、すべて各色の禮物を設け擇びて、花神を祭りはなむけす。芒種一たび過ぐるや、便ち是れ夏日にして、衆花皆去り、花神位を退くと言へり。須らく餞けするを要すべし。然して閨中更に此の風俗を興とする、大觀苑中の人皆早く起き來たる所以なり。或は花瓣柳枝を用ゐて轎、馬を編み成し、或は綾錦、羅紗を用ゐてのぼりはたを疊み成し、都て彩色せる絲を用ゐて、一顆の樹ごと、一枝の花ごとに繋ぐ。更に婦女等皆裝ひを凝らせば、桃羞らひ杏は讓り、燕は妬み鶯は慚ぢ、一時にして言はむも盡せず(尚古風俗、凡交芒種節的這日、都要設擇各色禮物、祭餞花神、言芒種一過、便是夏日了、衆花皆卸、花神退位、須要餞行。然閨中更興這件風俗、所以大觀苑中之人都早起來了。…或用花瓣柳枝編成轎馬的、或用綾錦紗羅疊成旄旌執事的、都用彩線系了、毎一顆樹上、毎一枝花上…更兼這些人打扮得桃羞杏讓、燕妬鶯慚、一時也道不盡)。
 晩秋の一日、病身の林黛玉、牀上に横になりて在り。想はざりき、日未だ落ちざる時、天急に變じ、浙浙瀝瀝と雨降り來たるを。秋霖は、陰晴不定(降りみ降らずみ)なるも、一日は漸漸ゆつくり黄昏たそがれて、空は暗く沈み、兼ねて雨竹梢に滴れば、更に凄凉を覺ゆ。黛玉心に感ずる所有るを覺えざるも、亦章句に發するを禁ぜず(歪在牀上、不想日未落時天就變了、浙浙瀝瀝下起雨來。秋霖脈脈、陰晴不定、那天漸漸的黄昏、且陰的沈黒、兼著那雨滴竹梢、更覺凄凉。…黛玉不覺心有所感、亦不禁發于章句)。
冬の雪の日の朝、寶玉天の明るや、はね起きて、帳子を掀開して一看す。門窗尚ほ掩すと雖も、只窗上の光輝目を奪ふを見る。忙しく起き來りて、玻璃ガラス窗の内より外を一看すれば、原來日光ならず、一夜の大雪、下は一尺以上の厚さに積もり、天はなほ一面の搓り絲、ちぎり綿の散るが如し。寶玉此の時歡喜常ならず。院外に出て、四顧一望すれば、邊りは白一色にして、遠方に青松翠竹あるのみ。是に築山の下に至り、築山に沿ふ徑に順ひて歩を轉ずるや、たちまち已に一陣の寒香鼻を打つを聞す。頭を囘らせば、まさに是、十數株の紅梅臙脂の如きが、雪の色に映じ、精なる神を分外に顯はし得たるを一看す。好く趣き有らざらんや(天亮了就爬起來、掀開帳子一看、雖門窗尚掩、只見窗上光輝奪目、…忙起來、從玻璃窗内往外一看、原來不是日光、竟是一夜大雪、下將有一尺多厚、天上仍是搓綿才止絮一般。寶玉此時歡喜非常…出了院外、四顧一望、竝無二色、遠遠的是青松翠竹…于是走至山坡之下、順著山脚剛轉過去、已聞得一股寒香拂鼻。囘頭一看、恰是… 有十數株紅梅如臙脂一般、映著雪色、分外顯得精神、好不有趣)。
一年の行事の極致は、除夕(大晦日)の賈家一統が宗祠禮拜より、元旦の宮廷參賀、元宵節(一月十五日)の盛宴へと續く正月の行事なり。『紅樓夢』は賈寶玉十四歳(數へ年にして今の日本式ならば十二歳)の正月の賈家の行事の詳細を描出す。
 『紅樓夢』の時代と場所、意圖的に韜晦せられ、大觀苑の在りしは、北京なりや南京なりや、はた又遠き時代の長安なりや定かならず。但し今日の北京南城の一角に、テレビ映畫の『紅樓夢』撮影せられし時建造せられたる「大觀苑」、今は公園となりて觀光客を聚む。作者曹雪芹北京の人なりせば、『紅樓夢』の眞の舞臺は清初の北京、作中の年中行事は清初の習ひにして、大觀苑は當時の北京に在りし邸宅の庭園を彷彿せしむべし。


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