張愛玲記(三)張愛玲の『心經』(平成二十一年四月)
                 

 張愛玲が短篇小説『心經』を翻譯書を頼りに讀進め、漸くにして讀了す。短篇なれど讀後感は重し。上海の資産家の娘なる女主人公、誕生の際、母を剋する運命の子なりと易者の告げし如く、父親との濃密なる愛情の中に長じ、母親は父と娘に彈き出され、肥滿して、早く老け込みたり。女主人公、娘盛りの歳となるも、父以外の男性に關心なく、生涯結婚を望まずと宣言す。娘の將來を心配せる父親、自ら娘との情愛を斷ち、娘に容姿の似たる娘が友人を愛人とし、同棲するに及びて、娘と母の關係の正常化に向ふ豫感もて、小説は終る。
 話の筋は簡單なれど、情景と心理の描寫は纖細を極む。中國語の漢字の多義性を全面的に生かし、暗喩を多用す。高層建築の最上階の露臺の植木鉢に育ちたる蔓草の、蔓を伸ばし、やうやう石壁を越ゆるも、先は何も無き中空なるは、大學生にまで長じたる娘の心理の暗喩なるべし。明らかなる比喩は少きも、意想外にして卓拔なる比喩あり。一例を擧ぐれば、初秋の夕刻、上海の街竝みの、殘暑の夕凪に喘ぐ家々は、蒸籠内に蒸さるる饅頭に比せらる。
 小説の描寫は、簡潔にして鋭利なる筆運びなるも、極力語を節したる古典漢文の傳統に從ふにやあらむ、僅かなる言葉にて大いなる情景・心理を喚起す。
 小説の半分は會話文なり。登場人物等も張愛玲も皆、國際都市上海の、英語による教育を受けたる上流の子女なるが故か、小説中に交さるる會話は、女子學生の他愛なき冗話にても、日本人の通常の會話より論理的なり。而も中國語の特性により、會話は日本語のほぼ二倍の速度にて進むを想像すべし。斯くて言葉を用ゐたる意志疎通の、日本語より迅速、且つ正確なるは言ふも更なり。されど會話の如何に論理的なるも、心の動きの全て、言葉にて表現せらるるに非ず。會話を交しつつ、互ひに言葉もて表現せられざる言外の意を探るは、日本人の會話と共通す。會話文の背後に、言外の心理の搖曳するを感ぜらる。
 小説の地の文は象徴性に富み、一筆にて定かならぬ全體を描き盡し、交さるる會話文の奧に、若き女性の一面優美にして柔かく、一面針を含み策略を弄ぶ心理を彷彿せしむ。初めて中國語にて讀みたる張愛玲が小説なれど、現下の中國に愛讀者簇生し、「張迷」と稱せられるる、彼の『紅樓夢』に「紅迷」あるが如しと傳ふるは、うべなる哉と感じ入りつ。? されど張愛玲作品の翻譯は、使用せる語の多義性と暗喩の多用故に、至難の業なるべし。我が中國語力は全く論外にして、張愛玲が文を論ずる能はざるも、翻譯を讀みて一箇所のみ氣附きしことあり。そは女主人公の二十歳の誕生日に、女友達等の相集まり、他愛なき冗話を交す場面なり。客の一人の女子學生Aに對し、女主人公、男子學生Bとの仲を囃して、「A跟B」と繰返す。「跟」の譯語を中日辭書に見るに、「と」とありて、翻譯書は單に「AとB」と譯したり。されど「跟」なる漢字の原義は「後を行く」なれば、「Aさん、Bさんにお熱」とでも譯すが宜しきに非ずや。我自信あるに遠けれど、一般的に漢字の多義性を考ふるに、日本語の一語は、中國語の一語に對應せしむるに足らざるべし。
 名譯と稱贊せらるる竹内好の魯迅作品翻譯は、原作の中國語一語に、日本語の語多くを用う。張愛玲作品の翻譯、亦さあるべし。
 この小説の題名『心經』を、翻譯者は「般若心經」と解す。されど他の解釋又可能ならずや。「心經」は「心の經」と複合名詞に讀むが常識的ならむも、素人の淺はかさにて、些か突飛なる讀み方をせば、「心經(ふ)」、或いは「心經(へ)たり」と主語・動詞に讀むも可ならざるや。こは、中國語を日本語に翻譯するの難しさを例證するに十分ならむ。。


▼「詩藻樓」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る