『紅樓夢』記・二(平成二十一年五月)
                 

 『紅樓夢』は一言にして言はば、主人公、賈寶玉の少年の日よりの成長の物語なり。獨逸語に Bildungsromanなる言葉あり。一人の男子の少年期より、大人に成長する過程を敍述せる小説の謂ひにして、典型はゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』なり。『紅樓夢』亦、その典型なりと言ふべし。
 『紅樓夢』全篇の三割、賈寶玉十三歳の一年に充つ。寶玉が父は性、嚴格凛烈なる官人にして、吾が子の文才を賞せざるにあらねども、寶玉の經學學習を好まず、時に其を抛擲し、軟文學に耽溺するを嫌ふ。寶玉十三歳の初夏の一日、讒言を信じたる父の怒りを買ひ、俄かに父が部屋に呼び出され、棒もてしたたかに臀部を打据ゑらる。居合はせたる食客等、頻りに宥むれど、「此奴を甘やかしたるは諸君に非ずや」とて責めらるるを如何せむ。
  家中大騷ぎとなり、寶玉が母、寶玉を溺愛せる祖母等皆驅著け、祖母の怒りに恐懼せる父、漸く打つを已む。氣息奄々たる寶玉の下着に血滲む身體、召使らの抱へて、寶玉が居館、怡紅院に運ぶ。賈家は中國傳統の大家族にして、寶玉等の子女等、各自大苑中に居館を構へ、侍女等に傅かるるなり。
  家中、苑中の人等、あまねく怡紅院に集ひ、こもごも寶玉を見舞ひて、渠が不運を悲しむ。寶玉思へらく、「我幾度か打たるるに過ぎざるに、この人等、斯く憐れみと悲しみの態度を露はせり。假に若し我殃ひに遭ひて横死せば、この人等の悲しみ如何ばかりならむ。この人等斯樣にして、我死する時、斯くの如くならば、我が一生の事業縱ひ盡く徒に終るとも、亦嘆惜するに足る無からむ(我不過挨了幾下打、他們一個個就有這些憐惜悲感之態露出、…假若我一時竟遭殃横死、他們還不知是何等悲感ロ尼!既是他們這樣、我便一時死了、他們如此、一生事業縱然盡附東流、亦無足嘆惜。)」と。
 寶玉その後も暫く此の日の記憶を忘れ得ざりけむ、或る晩、彼の日いたく悲しみたる侍女に謂ひて曰く、「たとひ我、今の此の時に幸運有りて死すべくば、そなたらの我が爲に哭ける涙の、流れて大河となるに我が屍を浮かべ、彼の鴉も雀も通はざる幽僻の地に送り、風化に隨ひて、此れより再び人と生まるる無からむも、我が死、正に時を得たりとなすべし(比如我此時若果有造化、該死于此時的、趁イ尓們哭我的眼涙流成大河、把我的屍首漂起來、送到那鴉雀不到的幽僻之處、隨風化了自此再不要托生爲人、就是我死的得時了。)」と。 翌朝、寶玉徒然なるままに苑内を逍遙し、少女役者等の居留せる一隅を訪ふ。日本にも各地に少女歌舞伎あれど、中國にては、少女芝居役者の一座、大貴族の邸内に一時居留し、宴席に興を添ふる慣習あり。過日寶玉、賈家に居留せる少女役者の一人、地面に賈家の一青年が名を書きては消し、書きては消ししたるを目撃せり。
 此の少女、此の日は不快げに臥せり居れり。されど過日少女の、名を書ける青年入り來るや、少女の甘え、拗ねたる樣を、寶玉見て感あり。直ちに怡紅院に馳せ歸り、改めて昨晩會話せる侍女に曰く、「我が昨晩の話、全て誤てり。昨夜我、そなたらが涙我一人を葬らむと語りたるは誤りなりき。畢竟我全てを得る能はず。此れより後、只是れ各人、おのおのの死に注がるる涙を得るのみなり(我昨晩上的話竟説錯了、…昨夜説イ尓們的眼涙單葬我、這就錯了。我竟不能全得了。從此后只是各人各得眼涙罷了。)」と。
  寶玉此の時より、人生の情縁に各自、分の定まるあるを深く悟り、只毎日「將來我を葬るに涙を注ぐは誰ならむ」と心に傷む(自此深悟人生情縁、各有分定、只是毎毎暗傷「不知將來葬我洒涙者爲誰 」)。こは賈寶玉の、全ての人我が爲に有りとせる自己中心的小兒の世界より、他人に他人の生あるを知る成人の世界に、一歩進み入れるを示すべし。子供より大人に至る過程を斯く描出せる、『紅樓夢』の Bildungsromanたる所以ならずや。


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