『禹域遊吟』 その三十三
楊貴妃墓 やうきひ はか
馬 嵬 ば くわい
西安より五十粁ほども西へ出し興平縣の馬嵬坡(は)に、絶世の美女楊貴妃の墓あり。玄宗
成都よりの歸途、墓を開きたるところ、ただ錦の香袋のみ出でたりといふ。
錦嚢香失一千年 錦嚢(きんなう)香は失せて一千年
天寶悲歌誰爲憐 天寶(てんぽう)の悲歌 誰か爲に憐れまん
今日馬嵬坡上柳
今日 馬嵬坡上の柳
淡妝迎客尚誇妍 淡妝(たんさう) 客を迎へて尚ほ妍を誇る
[先]
○ 昭和六十一年三月
*坡 土堤
*天寶 唐の年號。七四二〜七五六。安祿山の亂
天寶十四年(七五五)に起る。玄宗
蜀へ逃れ、
途中、馬嵬にて楊貴妃殺さる。
*悲歌 悲しき歌。玄宗と楊貴妃の悲戀物語を云ふ。
*淡妝 宋の蘇東坡に「淡妝濃沫(のうまつ)總て相ひ宜し」の句あり。美人の薄化粧を言ふ。ここは柳が青く芽吹いてゐるさまになぞらふ。