『禹域遊吟』 その二十三
曲 江 きょくかう
古の長安の東南隅に位置せし曲江は、今、町はずれの農村の一畫なり。幾分くぼみし地形は、往年の池跡を思はせるも、今は中央を道路の走る麥畑なり。第三句は、唐の鄭谷(ていこく)の「香輪青青を輾(きし)り破る莫かれ」(「曲江春草」)を踏まへしものなり。
一帶春風麥壟斜 一帶の春風 麥壟(ばくろう)斜めなり
農人窰洞兩三家 農人の窰洞(ようどう) 兩三家
香輪輾破舊堤上 香輪輾(ひ)き破りし舊堤の上
今見村童趁犢車 今見る村童の犢車(とくしゃ)を趁(お)ふを
[麻]
○ 昭和六十一年三月
*曲江 長安の東南にありし池。漢の武帝、長安に宜春苑を作り、水の流れ「之」の
字形に屈曲せし故、曲江と名付く。後に唐の玄宗、楊貴妃を連れ此の地に
幾度も遊ぶ。都人の一大行樂地なりき。
*窰洞 横穴住居。この地帶に多し。
*香輪 立派な馬車。貴族の馬車。
*犢車 子牛に引かせる車。