『禹域遊吟』
その十八
杜少陵墓 とせうりょうぼ
鞏縣へ來りしところ、縣責任者、杜甫の墓へ案内せむと云ふ。思ひがけぬ申出に喜び應じぬ。ジープを調達、黄土の坂を上下しつつ訪ぬるに、大いなる土盛りと、傍に小さき土盛二つ。杜甫と、子の宗文、宗武の墓なり。周圍は畑、他に何も無し。墓前に石碑二枚、裏手は黄土の斷崖なり。第七句は、杜甫自身の句(「秋興」其四)に據る。
洛城東北路
洛城東北の道
憑弔向山河 憑弔(ひようてう)山河に向ふ
陰氣凝原野 陰氣 原野に凝(こ)り
斷雲低卷阿 斷雲 卷阿(けんあ)に低(た)る
名聲垂宇宙 名聲 宇宙に垂(た)れ
碑石委荒坡
碑石(ひせき) 荒坡(くわうは)に委(ゐ)す
人世奕棋事 人生 奕棋(えきき)の事
墓前空詠歌 墓前 空しく詠歌す
[歌]
○ 昭和五十五年三月
*杜少陵 唐の大詩人・杜甫(七一二〜七七○)、少陵は號。大暦五年
(七七○)、潭州(湖南省長沙)から岳州(同岳陽)へ向ふ途中、船上
にて歿す。棺は長く岳州に置かれしが、四十三年後、孫の嗣業が洛陽
偃師縣に運びて首陽山麓に葬り、後、故郷鞏縣に移葬さる。
*憑弔 舊跡等に立寄り、昔を想起してとむらふ。
*卷阿 曲りくねりし丘。『詩經』の篇名にてもあるなり。
*奕棋事 圍碁。一勝一敗ある事をいふ。ここは、人生の勝負事の如く
變轉するを譬へしなり。杜甫の「秋興」詩其四の「聞道(なら)く
長安奕棋に似たりと」の句を踏ふ。