文天祥廟 文天祥廟
留取丹心土牢裏 丹心を留取す土牢の裏
元宰相氣何揚 状元宰相 氣 何ぞ揚れる
廟前棗樹老株在 廟前の棗樹 老株在り
長指江南天一方 長へに指さす江南天の一方
[陽] 南宋末、状元宰相文天祥は、元のフビライの助命の申し出を 拒絶し、漢民族の士大夫の誇りを貫き通せり。「正気歌」に言ふ 「惡氣雜出する」土室はここか、と跡をしのびて感に勝ふ。庭の 棗は文天祥お手植といひ、故郷の南を指して傾きたり。
状元宰相=文天祥(一二三六〜一二八二)は、状元(首席)で 進士に及第、後に宰相となる。元軍に捕へられ、土牢に 幽閉、獄中三年の後刑死せり。獄中の作「正氣歌」(五言六十句) は文天祥の代表作なり。
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