折口信夫 □診斷・日本人
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晩年の信夫と起居を共にせる加藤守雄の『わが師折口信夫』、岡野弘彦の『折口信夫の晩年』を讀むに、信夫の人柄、日常生活には、われわれ精神科醫が興味そそらせらるる部分、少なからず。
加藤は信夫の人間的印象につき次のごとく記す。「一オクターブ高き聲、なで肩にて丸味ある體つき、いんぎんなる物腰、自己愛的、女性的なり」「氣性はげしく我が儘なる性格、惡意ある批評や自分を傷つけむとせる言論には痛烈に反撥、反應過敏にて被害者意識つよく、先生が怒りは、不當にいためつけられたる自我を囘復せむがための闘ひ」「電話のベルにて過敏に怖る。相手の正體のわかるまで安心できず」。これらの記述より推察しうる信夫は、過敏、自己愛的、人間不信的、被害的傾向を有する分裂氣質に屬する人と言ひえむ。
彼の日常生活にはかなりの奇行目につく。その第一は極度に潔癖なることにて、書庫や部屋の埃を嫌ひ、他人の手が觸れたる襖、障子の把手は着物の袖にて摑み、電車の吊皮を持つときは手袋やハンチングを使ふなど直接自分の手にては觸れず(岡野)、フライパンをクレオソートにて消毒し、手に觸るるものはアルコール綿にて拭く(加藤)など、不潔恐怖の症状とも見られむ。
第二は女性恐怖にて、恐らく此が第一の不潔恐怖の原型と考へ得るものにて、女性を不潔視し、身邊にはほとんど女性を近づけず、食事は女性に作らせず、妻帶者の弟子の入りたる風呂には入らず、電車、バスの中にて女性の髮の毛觸るれば、すさまじき嫌惡感を示せり(岡野)。信夫の恐怖覺えざる女性は、親族の他はおそらく身邊にありし老婢、あるいは「神の嫁」としての巫女的なる役割にとどまりをりたる女性ならむ。
第三は饑餓恐怖とも稱せらるゝ一種の貯藏癖にて、戰爭末期より戰後にかけての時期、護符の如くに硼砂入りの四斗の米を貯へをりたり。他人より贈られたる果物などは腐敗せるものも捨てずにとりおきて、奇妙なる果實酒を作るなど致したり(岡野)。
第四は刺戟物に對する極端なる嗜好にて、三十種にも及ぶ茶を常備し、ジンジャーエール、コーヒーを好みたり。齒磨きは薄荷、樟腦、クレゾールなどを加へたる自家製のものを用ゐ、ロートエキスの錠劑を愛用し、息の詰らむばかりのユーカリ油をマスクに垂らすこともありたり。子供の頃には樟腦を齧りしことありたると言ふ。その極點に當れるはコカインに對する嗜癖にて、大正末期より昭和初年にかけてはかなり濫用し、その結果晩年にはほとんど嗅覺失はれたり(岡野)。因に彼が旅行の際には愛弟子の誰かを同行したる他、必ず數種の茶、胃腸藥、アルコール綿を携行したり(岡野)。
信夫の住居には「生活に對する熱意と秩序の微妙さ嚴しさ、隅々にまで行き屆きをり」、弟子達の立ち入れる領域、家婢の立ち入れる領域は竣別されゐたり。便所にても先生用、家人用、客人用の三種あり、自分の肌着を他人に洗はすることなく、就寢後は寢室に他人を絶對に立ち入らせたることなし。彼には「痛烈に嚴しき孤獨なる世界と、いさぎよき程の自愛の世界ありき」(岡野)。かくの如き呪術的とも言へる手のこみたるやり方にて、不潔より身を守る庇護的にして、固有なる生活空間を辛うじて創り出したる生活様式は、不潔恐怖症の人間のそれとしての特徴を十分に示せるものと見得。
弟子達の記述の中にて最も精彩を放てるのはすさまじきばかりの、師弟關係に關する部分なり。師としての信夫には苛烈、呪縛的なる感染力ありて、弟子たちにとり先生の言葉はすべて啓示にして、先生の行爲はすべて典型と感ぜられ、先生と一緒なれば一種の痲痺状態に陷りたり。信夫は弟子の生活のすべてを嚴しく律せざれば安心でき得ず、己のものと弟子のものとの區別つかざりき。弟子は先生以外との交際を斷ち切られ、殊に異性に對する禁欲生活を強ひられ、心のゆるむ暇なかりき。先生は口移しにて弟子の講義を準備し、弟子の講義の代講を行ふ。先生は自分の好みに從ひて弟子の髮の毛を五分刈りにし、近視ならねど眼鏡をかけさす。そして時には弟子(加藤)に同性愛的行爲を求めたりせり。しかれども、他の資料より推測するに、彼は性欲に對し嚴しき禁欲的なる自己抑制を課しをり、ゆゑに彼が同性愛は精神的なるものにて、肉體的なる行爲を求めたるは、おそらく晩年になりて自己抑制のゆるみたる時期のみと推測せらる。
柳田國男や土岐善麿の、「折口君の所に長くゐると牝鷄になる」(柳田)とか、「折口さんのごとき天才に着いてゐたら君達の個性はなくなる」(土岐)と語りたるは、この間の事情を指しをるものなり。斯くのごとく弟子に對して自他の區別を許さず、弟子を全的に一方的に支配し、自己の生活律により律せむとする態度は、分裂病者の子供に對する兩親の態度に類似しをりと言ひ得む。
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