平成新選百人一首 (第九十九)

   
來る年も咲きて匂へよ櫻花(さくらばな)
     われなきあとも大和島根(やまとしまね)に

    
   長澤 徳治(ながさは  とくぢ)=『特攻隊遺詠集』

  
  櫻よ。余の亡き後、來年も、またその翌年も、春には咲き匂ひくれよ、この日本の國に。
  昭和二十年四月二十八日、鹿兒島縣知覽基地を飛立ち、沖繩方面にて散華せし長澤陸軍大尉の遺詠なり。
  爆彈を抱へて敵艦に體當たりする「特攻」は、日米戰爭末期、陸海軍の生み出せる、世界史に類例なき作戰にして、特攻による戰死者六千九百五十二人を數ふ。
  特攻隊員の歌に櫻の多きは、櫻の如く清く散りたし、靖國の櫻となりてまた會はんとの氣持ゆゑなるべし。長澤大尉のこの歌にも、重き責務を淡々と受容する武人としての勇氣と潔さを見る心地す。特攻隊員の遺書、遺品は、靖國神社遊就館はじめ數箇所の元特攻隊基地記念館に保存、展示され、いづれも見學者の胸を強く打つものあり。更に二首を掲げん。
 
   いざさらば我は御國の山櫻
      母のみもとにかへり咲かなむ
海軍少佐 緒方 襄(二十二歳)
  
末遂に海となるべき山水も
      しばし木の葉の下くぐるなり
海軍少佐 仁科關夫(二十一歳)

      余、俳優として幾度か軍人の役を演じ、軍事關係の歴史に關心を持ち續けたり。此の度特攻隊遺詠集を讀み通し、戰死されし方々の殉國の洵に深き感動を覺ゆるとともに、かかる歌を讀む教養を備へゐたることに改めて感嘆するものなり。 (卷一)

   〈作者〉長澤 徳治 大正十年〜昭和二十年。陸軍第六航空軍所屬。金澤市出身。享年二十四。

 解説原文  津川 雅彦  つがは  まさひこ (俳優)
                     
  


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