平成新選百人一首 (第八十八首)

     やはらかに柳あをめる        
やはらかに やなぎあをめる  
     北上の岸邊目に見ゆ          きたかみの きしべめにみゆ  
     泣けとごとくに                 なけとごとくに         

    
   石川 啄木(いしかは たくぼく)『一握の砂』所收


   やはらかに柳の新芽が緑を増す、その北上川の岸辺が目に浮ぶ。故郷を思ひて泣けと言ふが如くに――の意ならんか。
   啄木は、岩手縣盛岡近郊の澁民村に生れ、中學三年にて與謝野鐵幹率ゐる『新詩社』社友となり、短歌、詩作に才を現す。
   その後二十年近く彼を育みし渋民村
(現玉山村澁民)
は、西に岩手山、東に姫神山を仰ぎ、北上川の清流に臨む。啄木は流浪中に於ても常に故郷を思ひ居りき。父の不始末等により村を追はれ、教員、新聞記者等をなしつつ盛岡、北海道、東京を轉々。生涯、生活苦と鬪ひ、二十六歳の若さにて歿す。
   啄木の浪漫主義的なる歌、貧困を詠ひし歌、故郷への思慕を詠ひし歌は廣く人口に膾炙し、啄木より短歌に入りしといふ人少なからず。
   掲出歌は明治四十三年刊行の處女歌集『一握
(いちあく)の砂』所收。土岐善麿の影響を受け「三行詩」の形なり。
   有名なる卷頭の絶唱一首と、故郷への思ひを詠ひし他の一首を掲ぐ。

 
   東海の小島の磯の白砂に       ふるさとの訛なつかし
     われ泣きぬれて                    停車場の人ごみの中に
     蟹とたはむる                       そを聽きにゆく


  〈作者〉石川 啄木   明治十九年〜四十五年。 詩集『あこがれ』(明治
           三十八年)、第二歌集『哀しき玩具』(明治四十五年)。

 解説原文  桂 重俊(東北大學名譽教授)


目次へ

詞藻樓表紙へ               文語の苑表紙へ