平成新選百人一首 (第六十八) くれなゐの二尺伸びたる薔薇(ばら)の芽の 針やはらかに春雨のふる 正岡 子規(まさをか しき)=『竹の里歌』所收 紅色の二尺ほど伸びし薔薇の新芽。針の如く鋭くされど柔き芽に、柔かき春雨の降り注ぐ、そのみづみづしさよ――の意なり。 秋の季節に春の歌を紹介するは當を得ぬ感もあれど、近代文學史上の巨人、子規には早めの登場を頂きたく、文末に秋の俳句を掲ぐるを以て讀者は諒とされたい。 子規が死の二年前、根岸の自宅に寢たきりの床の中、脊髓カリエスの激痛に耐へつつ詠みし「庭前即景」の一首。自ら提唱せし「寫生」の骨頂の表はれし歌にて、見しまゝを寫し取りつゝも、しっとりと落着きを感じさせる、奧深き趣の歌なり。 子規は、衰頽の氣配ありし短歌の革新に努め、萬葉ぶりと寫生の重要性を説き、近代和歌に大いなる足跡を殘せり。弟子に伊藤左千夫、齋藤茂吉ら『アララギ』の俊秀を生む。 文章に於ても寫生文を提唱、友人の夏目漱石を通じて、現代口語文の成立にも大きな影響を殘せり。 俳句に於ては、弟子の高濱虚子らが『ホトトギス』に據り「寫生」の精神を繼承。 子規自身は生涯に二萬三千餘句を詠みしが、ここに最も有名なる一句を掲ぐ。 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 〈作者〉正岡子規 慶應三年(一八六七)〜明治三十五年(一九○二)。 俳人。 生涯に詠みし短歌約二千五百首。著書に『俳諧大要』『仰臥 漫録』ほか。 解説原文 成瀬 櫻桃子 なるせ あうたうし (『春燈』主宰、俳人協會副會長) |