平成新選百人一首 (第三十一) 秋來ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる 藤原敏行(ふじはらの としゆき)=古今和歌集 古來、秋を詠める秀歌は數あれど、この歌は殊更多くの人に親しまれしものなり。 立秋の日に詠める歌にて、秋の來りしこと、目に判然とは見えねども、ふと耳に捉へし風の音に、あゝ秋なりと氣づかされしことよ――の意なり。 立秋は、今の暦(太陽暦)にては八月八日頃にて、未だ眞夏の感じなれど、古の人々の感覺は、現代人とは異り、鋭敏なりしならん。吾人にもその感覺の名殘りありとせば、或いは遠く敏行の此の歌の、深き記憶となりて肌身に沁み込みたるものならんか。 この歌、今の世にも人氣の高き歌なれど、江戸時代の文化人にも愛され、俳人蕪村は 「秋來ぬと合點させたる嚔 (くさめ)かな」 と詠めり。「おどろかれぬる」に關はる句としては 「秋たつや何におどろく陰陽師」の句あり。 目に見えぬものを肌で感じ取る趣が蕪村の心を捉へしならん。 目に見えぬものを感知する能力は、將棋にも必要なり。相手の氣づかぬうちに好機を感じ取り、危機襲來を察知す。盤上には、さやかに見えねども、「ある音」に氣づくことが出來れば、名人と云ふべきなり。 さて、作者敏行はまた書の名手にて「三蹟」として名高き小野道風は、敏行を空海にも比せしといふ。 〈作者〉藤原敏行 生年不詳。延喜元年または七年(九○一乃至九○七)歿。『古今集』以下の敕撰集に三十餘首。 解説原文 米長 邦雄 よねなが くにを (將棋九段、永世棋聖) |