平成新選百人一首 (第十五)
若の浦に潮滿ちくれば潟を無み 葦邊をさして鶴鳴き渡る わかのうらに しほみちくれば かたをなみ あしべをさして たづなきわたる 山部 赤人(やまべの あかひと)=萬葉集・巻六 若の浦に潮滿ちくれば干潟も無くなる故、鶴の群れ葦の水邊へ鳴きつゝ飛び行くよ、の意なり。聖武天皇の御幸に從ひ、若の浦(和歌山縣和歌の浦)にて詠まれしものにて、敍景詩人の面目よく表れたる名歌なり。作者赤人は、『古今集』撰者紀貫之も柿本人麻呂と共に歌の双璧として讚へし奈良期の大歌人にして、三十六歌仙にも名を連ね、中世にかけ歌聖として尊ばる。多樣なる萬葉歌人の中にありて赤人は、歌の姿よく澄切つたる自然詠多き自然歌人として、その頂點をなすものなり。 この歌は、長歌と反歌二首より成る歌の反歌第二首なり。天皇の御幸は玉津島神社の祭を兼しものにて、長短歌併せ讀まば、天子に從賀する專從歌人赤人の嚴肅なる氣分と緊張の傳はり來る心地す。 なほ赤人は『小倉百人一首』にて親しまれし「田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪はふりつつ」の元の歌 田兒の浦ゆうち出てみれば眞白にぞ不盡の高嶺に雪は降りける(萬葉集・卷八) の作者なり。その雄大さ、息をのむばかりなり。 赤人にはまた、明るく且のどかなる次の如き歌もあり。 春の野にすみれ摘みにと來しわれぞ野をなつかしみ一夜寢にける(萬葉集・卷八) 〈作者〉山部赤人 生歿年未詳。奈良時代前中期の歌人。萬葉集に長歌短歌合せ約五十首。 解説原文 田中 雄平 たなか いうへい(葦手ビル社長、絲平興業相談役) |