平成新選百人一首 (第九) 熟田津(にぎたづ)に舟乘りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな 額田王(ぬかだの おほきみ)=『萬葉集』 熟田津より船出せむと月待てば、潮の具合も頃よし、月あかりの中、いざ目出度き船出せむ――の意なり。 齊明天皇の七年(六六一)、唐・新羅(しらぎ)聯合軍の壓迫を受けし百濟(くだら)救援のため兵を催せし折、伊豫の熟田津(現松山市三津濱か)にて詠はれしものにして、船團のはらむ緊迫感のたかまりを力強く詠へる名歌なり。左に萬葉集原文を掲ぐ。 熱田津爾船乘世武登月待者 潮毛可奈比沼今者許藝乞菜 作者、額田王は萬葉の代表的女流歌人にて、容姿うるはしき采女(官女)として出仕、大海人皇子(おほあまのみこ= 後の天武天皇)の寵を得て十市皇女(といちのみこ)の母となり、後に御兄君の天智天皇妃となりし才女なり。萬葉集に、次の一首あり。 茜さす紫野行き標野(しめの)行き 野守は見ずや君が袖振る 天智天皇妃となりし王が野遊びに行きし折、前夫の大海人皇子袖を振りて合圖するを見て、野守の目につくではありませぬか、とたしなむる心地の歌なり。 これに對し大海人皇子は、露なる戀の一首を返す。萬葉集隨一の艷なる場面として知らるるなり。 紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑにわれ戀ひめやも(卷一) 〈作者〉額田王 舒明二年 (六三○)頃の生れ、持統朝の六九○年代に歿か。鏡王の娘。萬葉集に長歌三首、短歌九首。 解説原文 林 巨樹 はやし おほき (青山學院大學名譽教授、國語問題協議會副會長) |